荒井氏の足跡知りたい 栃木県の上野さん 県庁壕訪れる


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島袋愛子さん(右から2人目)から県庁壕の説明を受ける上野和子さん(右端)と嘉数昇明さん(左から2人目)ら=13日、那覇市繁多川の県庁壕

 太平洋戦争中、米潜水艦の攻撃で撃沈された疎開船「対馬丸」に乗船し、一命を取り留めた新崎美津子さん(享年90、2011年他界)の娘、上野和子さん(69)=栃木県栃木市=が13日、那覇市繁多川の県庁壕を訪れた。上野さんは栃木で母が残した手記や短歌などから対馬丸の悲劇について講演などで語り継いでいる。一方で、栃木県出身で沖縄戦当時、県警察部長(現在の県警本部長)だった荒井退造氏の存在を一昨年に知ったことをきっかけに関心を抱き、今回の来県では荒井氏の足跡をたどった。

 県庁壕では島守の会の前事務局長の島袋愛子さんと島田叡(あきら)氏事跡顕彰期成会の嘉数昇明会長、市繁多川公民館の南信乃介館長が案内し、対馬丸記念会の外間邦子常務理事も同行した。

 県庁壕は、島袋さんによると米軍上陸後の1945年4月25日から約1カ月間、県警察部や県庁の拠点となった。

 島袋さんは「ここが警察部の幹部が集まる部屋として利用された場所です」などと説明し、天井部分の鍾乳石から伝わる水のしずくが、避難していた人たちにとって「命の水」だったことを伝えた。上野さんは「どのような思いで約1カ月、真っ暗な中で過ごしたのか、想像し難い」と語った。

 また疎開を勧めた荒井氏の立場は、疎開によって身内を失った対馬丸の遺族からすると「複雑な感情があるだろう」と察しつつ「同じ栃木出身の荒井さんのことも、対馬丸のことも両方伝えていきたい」と語った。

 荒井氏は43年7月に着任。沖縄戦当時の県知事・島田叡氏と行動を共にし、糸満市摩文仁で消息不明となった。荒井氏を顕彰する石碑が昨年11月、栃木県宇都宮市に建立され、栃木では荒井氏の功績が再評価されている。