『おばあちゃんのバンザイ岬』 サイパン戦の実相伝える


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『おばあちゃんのバンザイ岬』池宮城けい著絵・磯崎主佳 なんよう文庫・1296円

 バンザイ岬は太平洋戦争で多くの県出身移民が「集団自決」に追い込まれたサイパン島のマッピ岬の通称である。戦前のサイパンは多くの沖縄出身移民がキビ作・製糖業に従事した平和で豊かな島であり、日本人約4万8千人のうち約70%が沖縄出身者だった。だが、戦争が始まると真っ先に米軍が上陸して「楽園」は「地獄」に一変した。

 サイパンの悲劇は日本軍の“玉砕”だけにとどまらない。孤立した逃げ場のない小さな島では住民も兵隊も区別はなかった。洞窟に隠れて飲まず食わずの生活が続いた。ついには小便や海水まで飲んで飢えや渇きをしのいだ。子どもが泣き出すと日本兵が家族の目の前で「処刑」する場面もあちこちで発生した。逃げ場のない細長い小島で、追い詰められた住民が手りゅう弾で自決する光景も見られた。手りゅう弾すら持たない避難民たちは、敵戦車群に追い詰められたあげく、島の北端のマッピ岬(バンザイ岬)の断崖から身を投げて無残な最期を遂げた。バナデル海岸には一家全滅の死体が散乱していた。

 サイパン戦における沖縄出身犠牲者の最期についてはこれまであまり詳しく語られることはなかった。「沖縄戦」の陰になって目立たなくなったというより、あの“地獄”の実相は容易に言葉にならないので、いわゆる「語り部」が表に出てこなかったのだろう。「言葉より先に涙があふれてくる」と証言した体験者もいた。しかし、あの“地獄”から奇跡的に生還した最年少者の一人であり、現在は沖縄の児童文学運動のリーダーでもある池宮城さんにとっては生涯つきまとう重たい宿題であったのだろう。児童文学作品も少なくない作家だが、生涯最大のテーマであるはずの「一家のサイパン体験」については後回しになっていた。ただし、沈黙の水面下では、生還した家族からの聞き取り記録を続けていたという。あとがきによれば、父親も母親もサイパンの戦場体験のことはほとんど口にしないが、当時7歳の姉上からは詳しい聞き取りを続けていたという。

 子どもたち向けに読みやすい文章と挿絵で構成されているが、沖縄戦史にもつながるサイパン戦の実相を知るテキストとしても一読をお勧めしたい。(嶋津与志・作家)

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 いけみやぎ・けい 本名・池宮繁子。1943年、サイパン生まれ。日本児童文学者協会評議員。87年「玻璃窓の月」で琉球新報短編小説賞佳作、96年「翔太のマブヤー」で琉球新報児童文学賞佳作。

おばあちゃんのバンザイ岬
池宮城 けい
なんよう文庫 (2017-01-20)
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