被災を糧に介護士合格 二上秀文さん、宮城から沖縄避難 夢のハイパー消防士へ一歩


この記事を書いた人 平良 正
介護福祉士試験に合格し、消防官を目指す二上秀文さん=3月29日、宜野湾市

 東日本大震災で家が半壊し、東京電力福島第1原発事故の影響を恐れ、一家で沖縄に避難してきた二上(にかみ)秀文さん(19)=宮城県栗原市出身=が真和志高校介護福祉コースをこの春卒業した。国家資格である介護福祉士をほぼ満点に近い125点中119点で見事合格した。

 今月、「介護もできる消防官」になるため専門学校へ進学した。夢は原発事故で活躍した東京消防庁のハイパーレスキュー隊員になることだ。

 2011年3月11日、激しい揺れが街を襲った。亀裂が入り住めなくなった自宅隣の車で、家族5人が寝泊まり。「当たり前が一変した」。荒廃した街を被災者救助に向かう消防車が通る。「何が起きたのか受け止められない中、初めて安心した。言葉にできない思いが込み上げた」。その時、消防官になろうと決心した。

 震災後間もなく、放射線の影響を恐れて、宮城県から一番離れた沖縄へと移り住んだ。二上さんがようやく震災を受け止められるようになったころ、避難場所で認知症のお年寄りが「家へ戻ろう」と訴える映像を目にする。制止する消防官の手を、お年寄りが必死に振り払っていた。

 家を失った二上さんにとって、お年寄りの気持ちはよく分かった。「物資や身体的なことと同じくらい、心に寄り添う助けも大切じゃないか」。二上さんは自問の末、福祉の資格を取るため真和志高校への進学を決めた。

 介護実習では意思表示が難しく、リハビリにも意欲的でない、まひのある男性を担当した。二上さんが童謡を歌うと、男性は次第に反応し、自ら歌を口ずさむようになった。「心に寄り添う介護を実感した」と二上さんは振り返る。

 担任を務めた翁長美樹子さん(49)も「周りが何をしたいかを考えて行動していた」と二上さんを評価する。

 「今は憧れだけれど、いつか必ず入る」ハイパーレスキューへの第一歩が始まった。(玉城文)