【キラリ大地で】アメリカ 「鼓動」公演マネジャー・赤嶺隆さん


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米バージニア州の州都リッチモンドでの公演後に「鼓童」での仕事について語る赤嶺隆さん

和太鼓に魅せられて

 海外への雄飛を夢見ていた赤嶺隆さん(59)=浦添市出身=は高校卒業後、単身英国に渡った。語学学校で英語を習得しながら、福祉施設での仕事に携わる中、英国社会に溶け込んでいった。

 渡英して8年。将来の道を模索していた赤嶺さんは、たまたま見た和太鼓を中心とした芸能グループ「鼓童」のロンドン公演に衝撃を受けた。それが赤嶺さんの人生を変えることになった。

 「鼓童」は1981年に新潟県の佐渡市で結成された和太鼓を中心とした芸能グループ。これまで国内をはじめ世界49カ国、5800回以上公演し、芸術的に高い評価を受けている。和太鼓奏者の若者たちは全国から集まり、日本伝統芸能の真髄を究めるべく日々、芸を磨いている。

 赤嶺さんは「自分と同じ年ごろの若者らの舞台は、鳥肌が立つほどのすごみがあり、その生命力に圧倒された。このグループと関わっていきたいとの思いに駆られた」と振り返った。

 公演終了後、興奮覚めやらない赤嶺さんは即行動に移す。「芸のない自分は鼓童と関われるマネジメントを申し出た。熱意が伝わったのか即採用となった」と語る。

 海外制作部の一員となった赤嶺さんは、海外公演の際にスタッフとして会場の交渉や下見をし、ツアーマネジャーとして海外公演に同行する。その頃、鼓童は知名度も上がり、海外ツアーでは劇場を満席にし、人気アーティストとなっていた。ロンドン事務所が開設され、再度英国に移った赤嶺さんは、英国人女性と縁あって結婚し娘が誕生した。だがアメリカやヨーロッパツアーは2カ月から長い時で4カ月に及ぶこともあった。自身の体調を崩したのをきっかけに、鼓童を辞めて故郷に帰る一大決心をした。沖縄での2年間は、沖縄を内から見るいい機会になったという。

 その後、鼓童と話し合いをした赤嶺さんは、2年ぶりに海外戦略室の一員として復帰。沖縄県や佐渡市をベースにして活動し、その後、英国に拠点を移し今に至っている。

 これまで鼓童がジャンルを超えて共演したアーティストには東京公演を行ったボリショイバレエの元プリマバレリーナであるニーナ・アナニアシヴィリや、ボストンシンフォニーホール100周年記念公演に参加したヨーヨー・マ。米ニューヨークではジャズドラマーのマックス・ローチ、佐渡アース・セレブレーションではジャズドラマーのエルビン・ジョーンズ。ノーベル平和賞100周年記念公演の際は元ビートルズのポール・マッカートニーら数多くの著名人と共演し、赤嶺さんはそれらの現場制作を担当してきた。

 また、数々の優れたパフォーミング・アーツを鑑賞してきた赤嶺さんは「感情を抑制できないほどの感銘を受けた舞台芸術はドイツのピナ・バウシュ舞踏団や現代ダンスのアクラム・カーンなどの舞台だ」だと目を輝かす。

 数々の芸術を見てきた赤嶺さんは「沖縄観光でのアピールは美しい海と空だけでは何かが足りない。沖縄に世界のパフォーミング・アーツの舞台が創造できるのではないか」と沖縄へ思いをはせる。同時に「米軍基地撤去を叫び続けなければならない沖縄だが、基地撤去の後に、世界の人たちと交流可能な『チャンプルー市場』ができ、そこが平和と文化を尊ぶ憩いの場になればいいと思う。それを実現させるには若者たちが海外に出て沖縄を外から見てほしい」と強調した。世界各地を飛び回り、経験豊かな赤嶺さんならではの沖縄の未来像だ。

 赤嶺さんと夫人との間には1男1女がいる。
(鈴木多美子通信員)