「全て日本に返還」 米軍回答、墓標は沖縄県人と別


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 【ハワイ=当銘千絵】沖縄戦で米軍の捕虜となり、移送先の米ハワイで死去した沖縄県人2人のものとみられる墓標がホノルル市の米陸軍施設内にあった件で、米軍は4日(日本時間5日)までに「全員の遺骨は既に日本へ返還した。(県人とみられた墓標は)該当しなかった」と、ハワイ沖縄連合会に回答した。照会した同連合会のジェーン勢理客専務理事が明らかにした。遺族らはいったんは落胆したものの、今後も諦めず継続して探し出す意向を表明した。

 12人の墓標を巡っては、1946年に当時牧師をしていた故・城間次郎さんがワヒアワ地区にあるスコフィールド・バラック内で確認したが、その後、兵舎拡張のため同地から撤去され、移転先は分からなくなっている。

 慰霊祭実行委共同代表の渡口彦信さん(90)=読谷村=は「30年以上調査を続ける中、米軍側の回答は一貫して変わらない。遺骨は返したという根拠となる追跡調査の結果が日米双方から示されたこともない。日米政府と県が協力し、しっかり追跡調査をするべきだ」と指摘した。

 遺族代表の久手堅憲吉さん(68)=浦添市=は「日本政府は遺骨を遺族に返すという責任がある。積極的に情報を開示して、遺骨収集の責任をぜひ果たしてほしい。DNA鑑定など、遺族として積極的に協力する」と要望した。

情報発信の意義大

 

仲程昌徳琉球大元教授

ハワイと沖縄の関係に詳しく、慰霊祭に参加した仲程昌徳琉球大元教授(文学)の話 ハワイに移送された県人捕虜は、沖縄戦の地上戦体験などと比べ、あまり知られていなかった。移民史でも注目されることは少なかった。今回の慰霊祭の取り組みは双方の関係を結び直し、絆を再認識させるために必要な情報を発信した。意義は大きい。未解決の遺骨収集問題を周知させる点でも、成果は大きいだろう。