戦後72年になる「慰霊の日」の23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園で開かれた沖縄全戦没者追悼式をはじめ、県内各地で慰霊祭や平和を考える催しがあった。週末となった翌24日も慰霊祭が執り行われた。慰霊祭を訪れた遺族らは沖縄戦で亡くなった犠牲者の冥福を祈るとともに、恒久平和への誓いを新たにしていた。
徴兵された父を沖縄戦で亡くした宜野湾市の米須清一さん(73)が23日、糸満市真壁の独立重砲兵第百大隊の慰霊碑に父の名前が刻まれていることを初めて知った。宜野湾市遺族会の企画で慰霊碑を初めて訪問した。戦後72年で、父の名前が刻まれた慰霊碑にたどり着いた米須さんは「父も喜んでいるはず」と涙を抑えきれなかった。
独立重砲兵第百大隊は戦死した734人のうち、52人が旧宜野湾村出身者だった。市遺族会は例年、糸満市の平和祈念公園と魂魄の塔などを訪れていたが、同隊の慰霊碑はこれまで訪問していなかった。
今回、自身も父が同隊に徴兵され亡くなった玉那覇祐正さん(84)が、宜野湾出身の戦没者が多いとして市遺族会に訪問を提案。23日は85人が参加し、碑の裏に連なる名前から家族を捜した。
沖縄戦当時1歳に満たなかった米須さんは、父清次さん(享年32)の顔を覚えていない。写真も遺骨も残っていなかった。糸満市真壁で亡くなったことは国の資料で分かっていたため、これまで真壁周辺を訪れてはどこともなく手を合わせていた。
米須さんは父の名前を見つけると、その場を少し離れ、ハンカチで目を押さえた。「お父さん、私は幸せですよ。元気に頑張っていますから」と声を詰まらせ、「感無量だ。来て良かった。毎年来るようにしないといけない」と語り、名前が刻まれた場所を静かになでた。