「過去で終わらせない」 沖国大卒業生・伊佐真一朗さん、渡嘉敷紘子さん 記憶の継承 大切さ訴え


この記事を書いた人 大森 茂夫
当時を振り返る伊佐真一朗さん(右)と渡嘉敷紘子さん=9日、沖縄国際大学の米軍ヘリ墜落現場モニュメント前

 【宜野湾】沖国大米軍ヘリ墜落事故から13日で13年を迎える。同日に沖国大で開催する「普天間基地の閉鎖を求め、平和の尊さを語りつぐ集い」の中で、墜落事故当時に学生だった伊佐真一朗さん(32)=沖縄市、渡嘉敷(旧姓池田)紘子さん(34)=本部町=が当時の状況を語る。渡嘉敷さんは「単なる過去の出来事で終わらせてはいけない」と述べ、墜落の記憶を語り継ぐ大切さを訴える。

 2年生だった伊佐さんは事故当時、大学近くの店で昼食を終えて出て来たところだった。大学の方向から黒煙が上がるのを目撃した。「とにかく、何が起こっているのか知りたい」。伊佐さんはできるだけ現場に近づき、持っていたカメラで撮影した。

 「もう普天間飛行場は閉鎖されるだろうと思った」と伊佐さんは感じた。しかし普天間飛行場は今も大学と隣り合わせで居座っている。

 「(自身も)写真を撮っていなければ忘れていたかもしれない」とし、自身のブログで墜落現場やその後の市民大会を撮影した写真を公開している。「13日は語りながら自分の記憶を確認したい。話を聞く人も13年前のあの日に何を思っていたのか、立ち戻ってほしい」と語った。

 事故当時3年生だった渡嘉敷さんは、事故があった当日はエイサーサークルの練習で浦添市にいた。練習を終えると、県外の友人らから安否を確認する連絡が大量に届いていた。翌日、大学に向かって黒々と焦げた校舎の壁を目の当たりにした。「生まれて初めて見る光景にただただ驚いてしまった。本当の意味の基地の危険性は分かっていなかったんだと気付かされた」と振り返った。

 その後、校舎の壁保存を求める活動に携わった。「記憶につながる物を残すのは当然だ。大学がそれを取り壊したことに驚いたし、落胆した」と現状のまま保存されなかったことに疑問を感じている。

 卒業後も県外や国外から知人が来た際は大学に案内し、墜落があったことを伝えている。「語り継ぐ人がいなくなれば、事故がなかったことになってしまう」との思いからだ。渡嘉敷さんは「基地がある限り墜落の危険性がある。それを皆が分かっていなければならない」と力を込めた。(明真南斗)