黒く焼け焦げた壁や、消火活動をする米兵、「立ち入り禁止」の黄色い表示板―。2004年に宜野湾市宜野湾の沖縄国際大学で起きた米軍ヘリ墜落事故は13日で13年を迎える。事故当時、同大1年だった那覇市の教員仲尾美希さん(32)は「あの日のことを忘れてはいけない」と、事故の写真展の開催を続け、変わらぬ基地負担など沖縄の取り巻く状況を訴えている。
事故当日、仲尾さんは大学へ行く予定だったが、急用で取りやめ、那覇市のアルバイト先に向かった。仕事を終えて携帯電話を確認すると、10件以上の着信。「何が起きたんだろう」と不思議に思った。直後の友人からの電話で、大学にヘリが落ちたと知った。「もしかしたら巻き込まれたかもしれない」。ショックで身震いが止まらなかった。
事故で壁が黒焦げになった大学の1号館は、事故翌年の05年に建て替えられた。建物はなくなっても、恐怖は消えない。その年から墜落現場の写真展を開催するようになった。
現在、那覇市民ギャラリーで開催中の「私の見た壁~1000の記憶~沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事件から13年」は、17回目。学生や地域住民、通りかかった人が捉えた約1400枚の写真や、当時の新聞記事などを並べる。「学校でユンタクする気持ちで写真展をやっている」
米軍普天間飛行場所属の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが16年12月に名護市安部で、今月にはオーストラリア沖で墜落するなど、沖縄を取り巻く環境は変わらない。辺野古の新基地建設が進められ、むしろ負担は重くなっているように感じる。ただ、13年前はタブー視されていた米軍基地の「県外移設」という言葉が出るなど「今まで我慢し続けたウチナーンチュが、嫌なものは嫌と発言できるようになった」ように、前向きな変化も感じる。
12日の県民大会ではオスプレイ墜落事故を受け、配備撤回を求める特別決議を採択する。県外で用事がある仲尾さんは「私みたいに行きたくても行けない人は山ほどいる。参加できる人もできない人も、思いは同じだ」と話す。一方で事件や事故が起きるたび抗議集会をする現状にやるせなくもなる。「そういうことをしなくてもいいような沖縄になってほしい」。変わらない、切なる願いだ。(前森智香子)