那覇市首里地域にある中城御殿跡(旧県立博物館)と首里当蔵旧水路の発掘調査説明会が23日、現地であった。県立埋蔵文化財センターが主催し、午前と午後合わせて約280人が参加した。旧水路は龍潭沿いにある。いずれも石積みが施され、参加者は琉球王国時代の石こう技術や、首里城周辺の町づくりに思いをはせた。
中城御殿は琉球王国時代に、次の国王になる世子(せいし)が生活と執務をした場所。1875年に現在の首里高校グラウンドの位置から首里大中町に移転した。1870年からの移転に向けた工事で、石積みが築かれたと考えられている。1945年の沖縄戦で破壊された。
中城御殿跡では、県立埋蔵文化財センター職員が上之御殿西側を案内し、良好な状態で残された庭園跡や外壁と石積みの特徴を解説した。旧水路が造られた時期について「少なくとも明治時代以前」とし、戦後にコンクリートのふたで覆われたと説明した。
説明会に参加した大中町在住の與儀毅さん(70)は「子どものころは水路のふたがされていなかったので、溝の間を歩いたり、飛び跳ねたりして登校していた」と懐かしんだ。