「宮農7号」か、黒島で発見 戦後宮古に普及したサツマイモ


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「みやななご」を栽培する農研機構の岡田吉弘上級研究員(右)と沖縄いもづるの会の桐原成元会長(左)ら=2月、糸満市内

 1947年に宮古島で開発され、かつて宮古島を中心に主食として普及した「宮農7号」とみられるサツマイモが2017年10月、竹富町の黒島で見つかった。黒島では「みやななご」の呼び名で知られており、関係者らは「ほぼ実物で間違いない」と話している。糸満市内の試験場に持ち帰って栽培し、早ければ4月にも実ったイモの食味試験などを行う予定だ。優れた特徴が残っていれば、新たな品種開発にも活用でき、関係者は「宮農7号」の復活を期待している。

 イモの保存や普及活動に取り組む「沖縄いもづるの会」の桐原成元会長や農研機構九州沖縄農業研究センター・糸満駐在の岡田吉弘上級研究員らが、文献の情報を基に黒島を訪れて発見した。「みやななご」は「宮農7号」が変化した呼び名とみられる。黒島の島仲和子さん(84)の畑で数年前まで栽培され、畑の雑草の中に1株だけ残っていた物を採取した。島仲さんは「いっぱい収穫でき、甘くておいしかった」と語る。

竹富町の黒島で見つかったサツマイモ「みやななご」(農研機構九州沖縄農業研究センター提供)

 「宮農7号」は宮古民政府産業試験場で垣花実記氏らが選抜した。果実の色は黄色で、細いツルや先の葉(頂葉)が紅色などの特徴がある。イモが深めに結実するためイモ害虫の被害に強く、収量が多い。「沖縄大百科」によると宮古地域を中心に普及し、作付面積は62年ごろに約29%を占めた。沖縄本島にも移入されたが作付面積は少ない。現在まで「宮農7号」の現物は保存されていない。

 品種開発した実記氏の次男で、同試験場で「宮農7号」を栽培した経験もある垣花郁夫さん(85)=名護市=は「(国内の)イモ発祥の地として夢をもう一度見たい」と復活を期待する。元農業技師でイモに詳しい桐原会長は「9割5分『宮農7号』で間違いない」と語る。

 岡田上級研究員は「昔の遺伝子源に良い形質が残っていれば、新たな品種開発にも活用できる。できたイモの特性を評価したい」と話した。農研機構などは沖縄在来のイモの保存や情報収集をしている。情報提供は農研機構糸満駐在(電話)098(840)3553。