東京電力福島第1原発事故後に福島県から避難し、安全性にこだわったパン作りを続ける男性が那覇市にいる。同市泊でベーカリー「BELL TREE(ベルツリー)」を営む鈴木健次さん(47)=福島市出身。今も多くの福島県民が避難生活を余儀なくされ、原発の廃炉まで道のりは長い。それでも鈴木さんは信じている。「福島県民は粘り強い。いつかきっと、元の福島に戻る。自分は沖縄で、ナンバーワンのパン屋を目指す」
7年前のきょう、東日本大震災が発生した。「えらいことになった。全て終わってしまう」。福島県郡山市にいた鈴木さんは、原発事故を伝えるテレビ映像に言葉を失った。原発から60キロほど離れた郡山市内にも、放射線量の高い「ホットスポット」が点在した。被ばくによる健康被害を心配し、震災1年後の2012年3月、那覇市に避難先を求めた。愛知県で半年間働き、開業資金を準備した。
14年末、那覇市の泊小学校近くに「ベルツリー」を開店させた。パン生地は100%天然酵母で、農薬の少ない国産小麦を使用。マーガリンや合成添加物は使わない。「原発事故後、食品の安全性を求める声が多くなった。子どもにも安心して食べさせられるように」との思いからだ。
朝5時からパンを焼き、生地の仕込みは夜11時ごろまでかかる。しかし売れなかった。「せっかく作ったパンが、どれだけごみ袋に入ったか。もうやめよう、と何度も思った」。2年前から生協で鈴木さんの食パンの取り扱いが始まり、若い世代を中心に来店者も増えた。
店頭に並ぶパンは日によって違い、レパートリーは40種類近くに増えた。定番のフランスパンなどのほか、西表島産の黒米を使ったパンや「郡山市民のソウルフード」という「クリームボックス」もある。
沖縄での生活は丸6年を迎え、店は軌道に乗り出した。それでも「福島を思うと、目頭が熱くなる」。県内外で避難生活を送る福島県民は今も5万人近くに上り、沖縄県内でも201人が暮らしている。鈴木さんは「どこに居ても、胸を張って『福島出身』と言いたい」と話す。
「福島は本来、食べ物もおいしく、自然豊かな『幸福』の『島』。どれだけ時間がかかるか分からないが、福の島に早く戻ってほしい」
古里を思いながら、こだわりのパンを一つ一つ、丁寧に焼いていく。(真崎裕史)