元気に生まれたのに…生後1カ月半で人工呼吸器に 世界は病室の中だけだった 駿羽君と一緒に(1)


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友達と一緒にトランプをする湯地駿羽君(中央)=2017年11月、那覇市立高良小学校

 「あー、また、ない!」「やったー、俺あと1枚」。那覇市立高良小学校の教室では児童たちが、トランプの「ばば抜き」をしていた。人工呼吸器を着けた湯地駿羽(ゆじはやと)君(12)もその輪の中に。「駿羽君はどれにする」。ほかの児童が駿羽君のところに回り、一緒にカードを取ったり、同じ数字のカードがないか確認したりしていた。

 教室移動になれば、ささっと子どもたちが駆け寄ってきて、駿羽君の車いすを押す。ここでは車いすを押すことも、人工呼吸器を着けている児童がいることも、日常の風景だ。宮城正美教諭(53)は「子どもたちは駿羽さんの全てを受け入れている。車いすは押せばいいし、よだれがたれたら拭けばいい。小さい頃からやっているこの子たちにとってそれは普通のこと」と話した。

 駿羽君は幼稚園から地域で学んでいるが、ここまでの道のりは平たんではなかった。

鹿児島の病院に入院していた頃の湯地駿羽君(中央)と父啓幸さん(左)、母三代子さん=2006年6月(提供)

 駿羽君は2005年8月、両親の出身地、宮崎県で生まれた。予定日より3日遅い出産だったが、体重2716グラムで特別変わったことはなく元気に生まれてきた。異変が現れたのは翌日。吐血があり、検査をしたが原因はわからなかった。ミルクを飲む力や泣き方が弱く、時々けいれんもあったが、医師からは「気にすることはない」と告げられていた。

 1カ月検診でも異常は指摘されなかったが、母三代子さん(43)はわが子の様子に違和感を拭えずにいた。別の病院を受診すると右の横隔膜の動きが悪く、低酸素状態になっていることが分かった。すぐに入院し、人工呼吸器を装着。その後、鹿児島の病院に転院し、2年間入院生活を過ごした。「感染の恐れがある」という理由で、外出は許されず、病室の中だけが駿羽君の知っている世界だった。
(玉城江梨子)