「学校はどうなったか 母は 教え子は」疎開生活の不安記録 やんばるの沖縄戦、名護市が資料発刊


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
集団疎開を引率した島袋善恒さんが記録した「備忘録」(左)を収めた「沖縄戦時下における名護・やんばるの疎開と関係資料」

 【名護】沖縄県名護市は、2016年8月に発刊した「名護市史本編3 名護・やんばるの沖縄戦」の資料編2として「沖縄戦時下における名護・やんばるの疎開と関係資料」を3月31日、発刊した。県立第一中学校、沖縄男子師範学校を卒業した島袋善恒さんが教員として今帰仁国民学校の集団疎開で学童を引率した際の手記を掲載した。

 手記は「備忘録」として、1945年2月1日から46年3月14日まで記録されている。当時32歳だった島袋さんは、疎開先の宮崎県から沖縄の激しい戦況を新聞で知るたびに沖縄に残る家族や児童らを憂い、心痛の感情を記している。このほか、疎開生活での児童の病気や食糧不足による生活の不安が記録されている。

 同年4月8日は「本格的に戰場化した故郷の父母の事に思ひを寄せるとき、ただゝゝ(ただ)自分の力で到底如何ともする事が出きない状態に心がかきむしられる様である。児童の一人々々(ひとり)の心も全くそんなものだらうと思ふ」(原文のまま、以下同)と記し、自らの家族の安否を心配する中でも、教員として学童を気遣う思いも記している。

 同年6月24日から27日までの記録はなく、28日に「まさかと思つてゐ(い)た事實(じじつ)が現實(げんじつ)になつて目前に繰ひろげられた時の驚きと憤奴。恐らく郷土人でなれば体験せざりし心境であつたらう。最後は勝つのだと甘い考へが郷土の滅亡によつて余程考へなほさねばならないと思つた」と記した。29日には「考へれば考へる程夢の様な感じがしてならない。あゝ學校はどうなつたか。母は。徳茂は。教へ子達はと思ひは走馬燈の如く頭に浮ぶ」と、心の揺れを記録し、沖縄に思いを寄せている。

 名護市教育委員会市史編さん係の川満彰さんは「地上戦だけではなく、強要された疎開の中で、先生が経験した一つの沖縄戦がきちんと伝わってほしい」と話した。

 資料編2は名護市内の書店のほか、名護博物館や中央公民館でも発売する。290ページ。定価1400円。500部発行。問い合わせは名護市教委市史編さん係(電話)0980(53)5402。

名護市史〈資料編 1〉近代歴史統計資料集 (1981年)
名護市
名護市
売り上げランキング: 2,652,572
名護市史〈資料編 3〉戦前新聞集成 (1985年)
名護市
名護市
売り上げランキング: 2,921,267