中途半端では無理 幼稚園、一度は入園断る 駿羽君と一緒に(3)


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小学校の卒業式に駆け付けた西原美津江さん(右)と笑い合う湯地駿羽君=3月、那覇市立高良小

 「うちには医者はいない。受け入れられない」。人工呼吸器を付けた湯地駿羽(ゆじはやと)君の入園をめぐって、2010年秋、那覇市立高良幼稚園は一度は受け入れ不可を那覇市に伝えていた。

 しかし、市の判断は「那覇市に納税している人が、子どもを市立幼稚園に通わせたいと言っているのを断るわけにはいかない」だった。

 当時、幼稚園の主任教諭だった西原美津江さん(65)は振り返る。「人工呼吸器を付けた子を誰も保育したことがない。園には医師もいない。みんな不安だった」

 西原さんは那覇市立幼稚園の障がい児教育を作り上げた人だ。40年近い経験から、障がい児には本気で向き合わないといけないこと、中途半端な体制では安全面を確保できないことを知っていた。

 だからこそ、市に強く主張した。「それなら、行政はちゃんとサポートしてくれるよね」。粘り強い交渉の結果、駿羽君に必要なベッドやハード面の整備は市の予算でまかなわれ、看護師資格を持つヘルパーが駿羽君に付いた。

 入園式を数日後に控えた11年4月、南部医療センター・こども医療センターに幼稚園の全職員、医師、看護師、救急隊、療育センター職員、医療器メーカー担当者など駿羽君に関わる人が全員集まった。駿羽君の状態やどんなことに気を付けなければならないのかについて共通認識を持ち、万全な受け入れ態勢を作るための会議だ。

 「チアノーゼを起こしたときはどうすれいいのか」「万が一他の子どもが呼吸器を引っ張ってしまったら」。幼稚園からの質問一つ一つに医師や医療器メーカーが丁寧に答えた。

 それはこれまでに体験したことのないことばかりだった。教諭らの「ここまでして受け入れないといけないのか」という空気を察知した西原さんは同僚らに問い掛けた。「マニュアル通りの教育なんてない。前途多難だけど、これこそが教育じゃないか。チャレンジしよう」(玉城江梨子)