体育館は3階。校舎はバリアフリーではなく、階段だらけ―。
人工呼吸器を付けた湯地駿羽(ゆじはやと)君が2012年4月に入学した高良小学校の校舎は、「バリアフリー」の概念がまだ浸透していなかった1978~79年に建てられたもの。体育館は校舎と渡り廊下でつながっているが、そこにも段差がある「バリアだらけ」の学校だった。
駿羽君の入学に当たり、学校が設置したスロープは体育館への渡り廊下の1カ所だけ。
不便に見えるが、駿羽君の母三代子さんは「バリアフリーじゃなくてよかった」と話す。段差がある場所は誰かの手助けが必要だ。駿羽君が困っていると気が付いた子どもたちが駆け寄ってきて、自然に手伝う。そんな光景が当たり前になっていった。
三代子さんは「社会はまだまだバリアフリーになっていない。車いすの人がどんな場所が通りにくいのか、どんな時に困るのかを接することで気付いていった」と振り返る。施設面のバリアが逆に「心のバリアフリー」につながっていった。
学校側も試行錯誤した。学年が上がれば教室は上の階に配置されることが多い。高良小でも通常は5、6年生の教室は4階だ。しかし、駿羽君が6年生の時の教室は1階だった。
5年生の1年間、駿羽君の教室は4階にあった。通常の移動はエレベーターを利用すればいいが、災害時の避難訓練で問題にぶつかった。災害時にはエレベーターは使えない。教員4人で車いすを抱えて下ろさないといけないことが分かった。「避難誘導は、ほかの子どもにも通常以上に気を配らないといけない。駿羽君だけにかかりっきりにはなれない」という理由で6年生の教室は移動の負担が軽い1階になった。
最初から「正解」なんてない。やっていく中でベストな方法を見つけていった6年間。「バリアだらけ」の校舎だったが、事故は1度も起きなかった。
(玉城江梨子)