絶縁の兄と再会、涙
伊江島出身の喜代・マッギーさん(80)=旧姓渡慶次=は結婚前、コザ市(現沖縄市)で洋裁店を営んでいた。オーダーメードの紳士服などを仕立てる喜代さんの店には、多くの米兵が顧客として訪れていた。後に夫となる空軍勤務のチャールズさんもその一人だった。
店が縁で付き合いが始まった2人は、いつしか結婚を約束する間になった。しかし、親代わりだった兄に結婚を猛反対され、「縁を切る」と言われた。それでもチャールズさんと2人だけで那覇の領事館で式を挙げた。夫の転勤で米国、沖縄を転々としたが、1982年から米カリフォルニア州サクラメントで暮らしている。
子育てや仕事に忙しい日々を送る中、予期しない出来事が喜代さんを襲った。喜代さんにがんが見つかり、医師に末期がんの宣告を受けたのだ。しかし、夫の看病のかいもあって、手術は奇跡的に成功した。だが、喜んだのもつかの間だった。今度は、夫の胃にがんが見つかった。懸命に看病したが、夫は55歳の若さで旅立った。
喜代さんは、夫を亡くしたショックや喪失感でしばらく立ち直れなかったという。しかし、県人会の会員から心身ともに助けられ、子どもたちにも励まされる中、日常の生活を徐々に取り戻していった。「県人会にも子どもたちにも感謝」と振り返る。
長男のジェフリーさん(45)は東海岸にある大学の医学部を卒業後、サクラメントに戻り、地元の病院で内科医をしている。大学院で修士号を取った娘のデブラさん(43)は子育て真っ最中の専業主婦だ。子どもたちの家族が喜代さん宅に時々集まり、にぎやかな一時を過ごすという。
喜代さんには、ずっと気掛かりなことがあった。結婚を猛反対され、会っていなかった兄のことだ。そんな中、ウチナーンチュ大会のため帰郷した喜代さんは、兄が入院したことを知る。「2度と目の前に現れるな」と勘当同然だった喜代さんは面会することをちゅうちょしたが、姉に背中を押され思い切って兄を訪ねた。久しぶりの再会となった病床の兄からは「これからは、いつでも会いに来なさい」と優しい言葉を掛けられた。その言葉に喜代さんは胸がいっぱいになり病室を出て号泣したという。
サクラメントに引っ越して36年になる。「サクラメントは第2の故郷になった。つらい人生だったが、いいこともいっぱいあった」と話す喜代さん。県人会メンバーと週に一度の、ボウリングや野菜作りをしたり、孫の好物のお餅など料理を作ったりするのが今は楽しみとなっている。
(鈴木多美子通信員)
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