【キラリ大地で】ブラジル バス会社運営 屋比久武夫さん(南城市・佐敷出身)


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農業から運送業へ転身

 

ブラジル・カンピーナス市でバス会社を経営する南城市出身の屋比久武夫さん

 ブラジル・サンパウロ市から内陸へ100キロ離れたカンピーナス市で、運送業を起こし成功したウチナーンチュの実業家がいる。南城市佐敷仲伊保出身の屋比久武夫さん(80)さんだ。バス会社のオーナーで、息子の孟さんと会社を切り盛りする。現在、バスは35台だが、多いときはバス75台を所有していた。運転手38人、整備担当2人、洗車担当2人の計42人の従業員がいる。

 1954年9月10日、武夫さんはブラジル・サンパウロ州サントス港に到着した。母と兄弟と一緒だった。15歳だった。ソロカバ市で2年間滞在し、トマトやジャガイモ、タマネギなど野菜を生産する仕事に就いた。56年に母方の叔父の呼び寄せで、カンピーナス市に家族で引っ越した。そこでは、トマトを中心に栽培する農業に従事することとなった。トラクターもなく、農作業が大変だったという。ある日、トラクターの購入を任された武夫さんは、独断でトラックを購入してしまう。武夫さんは家族からられたという。

 だがそれを機に、仕事を農業から運送業に切り替えた。当時、サンパウロで野菜を売っていた業者はカンピーナスまで買い付けに行かないといけなかったという。そこで屋比久さんら兄弟3人は61年、初めてカンピーナスからサンパウロに野菜を運ぶトラックを出した。年中無休で必死に働き、約35台のトラックに運転手と助手約70人を抱える会社に成長した。63年には2世のマリアさん(旧姓大城)と結婚し、4人の子宝にも恵まれた。

ブラジル・カンピーナス市でバス会社を経営する(左から)南城市出身の屋比久武夫さんとおいの屋比久ルイス孟吉さん

 71年にはセアザ(サンパウロ州食料配給センター)に屋台を設置し、野菜を売り始めた。武夫さんがカンピーナスからナスやトマト、キュウリ、里芋などの野菜を運び、兄弟2人が屋台で販売した。しかし、90年にはその屋台を売り払った。

 屋台を始めた翌年、72年にバス会社を起こす。バス会社を経営する友人の影響を受けた。最初は2、3台で始め、毎年2台ほど増やしていった。個人にバスを貸したりしていたが、知人の紹介で参加したブラジルの大手石油会社、ペトロブラスの入札に成功。バスの所有台数を大量に増やし、数千人の従業員の送り迎えを担った。さらに知人の紹介でシェルを含む約7社と契約を結び、従業員の送り迎えをした。ホンダ自動車の従業員約850人の送迎や、週末は観光バスとしてブラジルの各地や隣国パラグアイなどにバスを出し、約380人が利用している。カンピーナス市内にある約50社のバス会社のうち、武夫さんの会社が唯一の日系の会社だ。

 武夫さんは現在、週4日の午前中はゴルフに興じ、それ以外の時間帯に出社しているという。「あと10年は仕事できる」と力強く語った。 (城間セルソ明秀通信員)