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那覇市に暮らす金城宏盛さん(75)の妹で、栄養失調で亡くなった千代子さんの名が追加刻銘される。千代子さんは生後6カ月ほどの短い命だった。亡くなった正確な日時や場所は分からないが、宏盛さんは「千代子の生きた証しが社会に認められた。亡くなった母への、せめてもの孝行になれば」と語り、妹の刻銘に安堵(あんど)の表情を浮かべた。
宏盛さんは具志頭村(現八重瀬町)安里の出身で、沖縄戦当時は2歳だった。1945年4月から5月にかけて、背中に生後間もない千代子さんをおぶった母カツさん、2歳上の兄宏一さんと共に国頭へ向かった。
国頭には食料がなく、家族は栄養失調に陥った。「千代子にお乳を与えようとしたが、何も食べてないため、お乳が出なかった」とカツさんは宏盛さんに語っていた。千代子さんの泣き声は徐々にか細くなり、そのままカツさんの胸の中で息絶えた。千代子さんは山中の大きな松の根元に葬られた。カツさんは南部へ移動する際、遺骨を掘り起こし、戦後になって納骨した。
飢えに苦しんだ避難生活の中で娘を亡くした悲しみからカツさんは戦争体験を詳しく語ることはなかったという。
「生きた長さで命の重みは計れない」と語る宏盛さん。碑への追加刻銘が決まった直後に、両親と千代子さんが眠る糸満市摩文仁の墓に手を合わせ、報告した。「沖縄戦には語り尽くせないほどの悲しみが埋もれている。子や孫に二度と同じような思いをさせたくない」と宏盛さんは平和への誓いを新たにした。