【熊本で謝花史哲】国が長年続けたハンセン病強制隔離政策のため、患者本人だけでなく、家族も深刻な偏見や差別を受けたとして、元患者の家族で県内在住の244人を含む568人が国に謝罪と損害賠償を求めた訴訟の口頭弁論が15日、熊本地裁(遠藤浩太郎裁判長)で開かれた。沖縄県の原告2人が本人尋問で、国の政策の結果、家族関係にひずみが生じたことや、今も続いている偏見や差別などの被害を証言した。
東村の宮城賢蔵さん(70)は、生後約3カ月の時に母が施設に収容された。強制的な隔離政策を背景に住民たちがハンセン病に向ける目は厳しく、ハンセン病を発症した母がいるというだけで、ありもしない菌があると住居を焼かれ、道を歩いていると石を投げられることもあった。理容店ではさびたはさみを使われるなど、嫌がらせも受けた。
地元を離れ、独立し鮮魚店を営んだ時には母のことが知られ、菌がうつるからと客に敬遠された。
国の政策の過ちが認められた今も周囲の対応から差別を感じることがあるという。宮城さんは「今も重荷は下りていない」とし、訴訟で争う姿勢の国に対して「ばかにするなと言いたい」と声を荒らげた。
県内の70代女性は、きょうだい8人のうち4人がハンセン病を発症し施設に収容された。
優しかった父の性格は一変し、酒を飲んでは暴れるようになった。父は「自分の家系にハンセン病者はいない」と、母に原因があるかのように非難し、時には暴力を振るい、妹たちも巻き込まれることがあったという。
父の変化で母や妹たちは逃げるように実家を離れ、一人で暮らす女性のところに移り住んだ。その後、女性は結婚したが、家族の関係を壊したハンセン病の経験について夫や子どもたちに語ることはできなかった。
しかし、裁判をきっかけに娘1人には打ち明け、応援の言葉を掛けられた。女性は「苦労した母のことを思うと胸が張り裂けそう。父も、国の隔離政策の被害者だと思う」と訴えた。