「飯上げ」10キロ、「重い」 ひめゆり学徒の歩み追体験 南風原の児童 道具やご飯も当時再現


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イモご飯の入ったたるをぶら下げた棒を担ぎ、ほぼ当時のまま残された「飯上げ」の道を歩く児童=23日、南風原町喜屋武の黄金森

 【南風原】沖縄戦当時、ひめゆり学徒らが砲弾の降る中、命懸けで兵士らの食料を運んだ「飯上げ」の体験が23日、沖縄陸軍病院南風原壕群のあった黄金森で行われた。追体験したのは、第24回南風原町子ども平和学習交流事業に参加している8人の小学6年生。道具やご飯は当時を再現し、実際の「飯上げ」の道の約3分の1に当たる150メートルほどを歩いた。

 1944年の10・10空襲後、那覇から南風原国民学校(現南風原小学校)に移った沖縄陸軍病院は、45年3月下旬からは町喜屋武と兼城に掘られた約30の壕に移転した。現在公開されている20号壕から約420~450メートル離れた喜屋武の茂みの中に炊事場があり、学徒は危険を冒し炊事場でご飯を炊き、壕に運んだ。

 参加した8人は炊事場を確認。その後、2人一組で棒にイモご飯の入ったたるをぶら下げて歩いた。今回の重さは約10キロだったが、当時は約14キロだったという。

 沓澤(くつざわ)幸之介君(11)=翔南小6年=は「見るのとやるのは違う。やっぱり重くてこれで走っていたとはびっくり」と振り返った。

 体験後、体験者の証言通りピンポン玉ほどの大きさに握ったおにぎりを食べた小渡姫々杏(ここあ)さん(11)=同=は「当時の飯上げはもっと大変だったから、今とは違う味がしたかもしれない」と語った。

 子ども平和学習交流事業は「飯上げ」体験を含む事前研修で県内の戦争体験や差別、人権などについて学んだ後、夏休みに広島や大阪での本研修に参加する。

 久手堅世奈さん(11)=北丘小6年=はこれまでの事前研修を振り返り「以前は、アメリカだけがひどいことをしたと思っていた。歴史を学び、日本の加害についても知った」と語った。