11日に沖縄県那覇市の奥武山公園陸上競技場で開催された県民大会は、雨が降る中でも続々と会場入りする人の列が続き、約7万人(主催者発表)が参加した。米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に伴う新基地建設の阻止を公約に国と対峙(たいじ)してきた県知事の翁長雄志さんが8日に亡くなったことを受け、大会は追悼の思いであふれた。同時に参加者らは、翁長さんの遺志を継いで辺野古新基地建設阻止へ取り組む決意を新たにした。
「ウチナーンチュが心を一つにして闘う時には想像するよりもはるかに大きな力になる」。8日に急逝した県知事の翁長雄志さんの次男で那覇市議の雄治さん(31)は、翁長さんが生前繰り返していた言葉を会場に集まった参加者に力強く発信した。大会で翁長さんがかぶる予定だった帽子は、座るはずだった舞台のいすの上に置かれて大会を見守った。
どうやったら基地建設を止められるか。翁長さんは病室のベッドの上でも資料を読みあさった。雄治さんは、病に伏してもなお、諦めなかった翁長さんの様子を会場に伝えた。雄治さんが「最後まで頑張りましたが、残念な結果となりました。申し訳ございません」と涙ながらに語ると、急に雨脚が強くなった。会場にはむせび泣きする参加者の姿もあった。だが、「翁長雄志に辺野古新基地建設が止められたと報告ができるように頑張ろう」と語ると、参加者は顔を上げ、歓声と拍手を送った。
雄治さんは、あいさつを日程に組み込むよう大会前日に急きょ主催者に依頼した。「翁長知事の本音はどこか」と気にする人に向けて、最後の最後まで辺野古新基地建設阻止を貫く覚悟を持っていたと伝えたかったという。
雄治さんは、就任後、政府の閣僚と会えない日が続いていた翁長さんに「(辺野古移設阻止を掲げて)知事になったことを後悔していないか」と聞いたことがある。これに対し、翁長さんは「(辺野古移設を容認して)県民を裏切ってうちあたいをひきずるよりもいい」と返した。その言葉に新基地建設阻止への父の強い思いを初めて実感したという。
「おやじの気持ちを伝える最後の機会になる」。雄治さんはそんな思いで大会に臨んだ。父の遺志を参加者に伝えつつ、父が望んだ未来に向けて県民が再結集することを強く訴えた。