沖縄もう一つの戦争 マラリア犠牲者の追悼式 西表「忘勿石之碑」に平和誓う


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忘勿石之碑に手を合わせる参列者ら=15日、竹富町西表島の南風見田浜

 【西表島=竹富】戦時中に竹富町波照間島から強制疎開させられマラリアで亡くなった犠牲者を悼む慰霊祭が、終戦記念日の15日、同町西表島の南風見田浜にある忘勿石(わすれないし)之碑前で開かれた。同碑保存会員や関係者ら約20人が参列し、犠牲者の冥福を祈った。

 戦時中、波照間島の住民は、軍命によりマラリアがまん延していた西表島への移住を余儀なくされ、80人以上が現地で死亡した。帰島後もマラリアが持ち込まれたことで死亡者が相次ぎ、疎開先での死亡者も含めて、当時の人口の約3分の1に当たる552人が戦争マラリアで犠牲となった。

 当時、南風見田浜で子どもたちに勉強を教えていた波照間国民学校の識名信升校長(故人)は、この悲劇を忘れないよう浜の岩場の石に「忘勿石 ハテルマ シキナ」と刻んだ。忘勿石之碑は1992年に刻字された石のそばに建立され、毎年慰霊祭が開催されている。

 南風見田浜で姉を亡くした慰霊碑保存会会長代行の金武正さん(70)は「強制疎開がなかったら波照間島はもっと栄えていただろう。戦争はもう二度と起こしてはいけない。そのためには平和の尊さを伝えていくしかない」とあいさつした。

 波照間島から唯一参列した波照間小中学校元校長の仲底善章さん(62)は「マラリアで子どもたちが亡くなっていくことに識名校長がどう思っていたのかと考えながら手を合わせた。島からも多くの人が参列して、慰霊祭が継続できるように願っている」と話した。