ハワイ沖縄プラザ落成、来月3日式典 祖父に代わり感謝を 式典参加・長浜さん夫妻


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
捕虜となりハワイで抑留生活を送った大城榮藏さんの子や孫たち。孫の長浜梢さん(左から5人目)と夫の洋平さん(同右端)は祖父の足跡をたどりにハワイを訪ねる=糸満市

 「祖父の足跡をたどりハワイとのつながりを引き継ぎたい」。現地時間の3日にハワイで開催のハワイ沖縄プラザ落成式典に参加する那覇市の長浜洋平さん(39)と梢さん(41)夫妻は特別な思いでハワイを訪ねる。祖父は沖縄戦で捕虜となり、ハワイへ移送された大城榮藏さん=糸満市=で、今月2日に90歳で亡くなった。大城さんは生前、県系人に助けられたと語っていた。長浜さん夫妻は祖父に代わって県系人と交流し感謝を伝えたいと考えている。

 大城さんの次女上原優子さん(62)によると、大城さんは防衛隊の通信兵として沖縄戦に動員された。本島南部で被弾しけがを負い、米軍の捕虜となった。船に乗せられ3カ月かけてハワイへと移送された。当時連行された捕虜は約3千人余。大城さんもその一人だった。

 現地では労働を強いられるなど抑留生活は1年半も続いた。その間、戦前にハワイに渡った県出身者が捕虜となった県人を支えた。金網越しに情報交換したり、食事を運んだりするなど勇気づけてくれた。

 過酷な体験をした大城さんだったが、子どもたちに語り聞かせることはあまりなかったという。「悔しさ、惨めさがあったのだろう。背中の傷も見せないようにしていた」と上原さんは振り返った。

 転機となったのは昨年6月に現地で初めて開かれた慰霊祭だ。新聞記事で開催を知り、同5月に関係者に香典を託した。以来、沖縄戦やハワイでの捕虜生活のことを話し始めた。現地で亡くなった仲間たちのことを思い「帰ってこられないみ霊もある」と嘆いていたという。

 今回のハワイ訪問には大城さんも参加への思いを募らせていたが、体調を崩し急逝した。上原さんら子どもたちは訪問を断念し、孫やひ孫たちで行くことになった。

 孫の梢さんと夫の洋平さんは「祖父が捕虜から帰ってきて命をつないだことで今の私たちの家族がある。祖父はハワイに対する思いを私たちに託した。県系人への恩返しを胸にハワイの地を踏みたい。戦争の悲惨さを次代に伝えていきたい」と話した。長浜さんらは31日に那覇空港を出発。現地では父が抑留された地域などにも足を運ぶ予定だ。 (謝花史哲)