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「記録と記憶」の歌姫 特別評論「安室奈美恵さん引退」 仲井間 郁江(琉球新報社経営戦略局)


この記事を書いた人 Avatar photo 仲井間 郁江
大観衆の中、ファンのために最後まで美しい歌声と迫力のあるダンスを届けた安室奈美恵=東京ドーム

安室奈美恵さん、おかえりなさい。ちょうど1年前、宜野湾市での25周年のライブで、あなたは「また遊びにきてね」と言い残して舞台を去った。そして1年後、あの時の言葉通り、また沖縄に戻ってきた。引退という決断には寂しさが募る。しかし同時に、最後のステージの場として故郷・沖縄を選んでくれたことをうれしく思う。

安室奈美恵は「記録」と「記憶」の歌姫だ。女性ソロ歌手として史上最年少での紅白歌合戦出場やレコード大賞を受賞した。国内史上初となる10代、20代、30代、40代の4年代全てでミリオンセラーを樹立するなど、数々の記録を打ち立てた。

「記憶」ではファッションをまねする「アムラー」現象を生み出し、人気絶頂の20歳で結婚し、出産、休業など、それまでの「常識」にとらわれない新たな価値観を示し、人々の記憶に残った。2000年の九州・沖縄サミットで歌う姿も記憶に残る。そして何よりも、沖縄の多くの若者にとっては「劣等感」を取り払ってくれた存在だ。

沖縄という小さな島から大きな夢を抱き飛び立った10代の少女が、大都会・東京でヒット曲を連発し、スターの階段を上りつめた。その姿に多くの県民はときめき、自信をもらった。安室奈美恵という存在をきっかけに「私、沖縄出身です」と堂々と言えるようになった沖縄の若者は少なくない。私もそのひとりだ。

健康的な小麦色の肌を輝かせて踊る彼女の姿に「じーぐるー(地黒・元々日焼けしたように肌の色が濃い)」も悪くないとコンプレックスを自信に変えた女性も多いはずだ。

「安室奈美恵」以前と以後で、間違いなく沖縄人(ウチナーンチュ)の自意識は大きく変化した。それまで不利だと思ってきたことが「独自性」や「可能性」へと捉え直されていった。

ただ「沖縄出身」であることが彼女を成功に導いたわけではない。そのことを多くの県民は知っている。安室奈美恵は自身が沖縄出身であることを過度に強調することはなかった。歌とダンスによるごまかしのないステージ、たゆまぬ努力を重ね続けた。本質で勝負し、結果を出し続ける「プロフェッショナル」としての責任を果たしたことが彼女の最大の魅力だ。だからこそ誇らしく思えるのだ。

8月中旬から琉球新報社では安室さんの足跡を紹介する展示会を開催している。来場者の中には、つえを突き、ゆっくりとした足取りで一点一点をじっと見つめる高齢者も少なくない。そのまなざしは、まるで孫を見つめるような温かみを帯びている。

「ちゅらかーぎー(美人)だねー」と小さくつぶやく声を何度も耳にした。多くの県民にとって、安室さんはテレビの中のスターであると同時に、家族のような存在だったのかもしれない。

1年前のあの日、台風の余波が残る宜野湾市のライブ会場で開演直前、一瞬だけ虹が見えた。ステージで潮風に髪をなびかせながら気持ちよさそうに歌う安室さんの姿を見て、沖縄の空と海が本当に似合う人だと思った。

安室さんは「平成の歌姫」と呼ばれる。そして平成の終わりと時を同じくして舞台を降りる。しかし彼女の残した歌は時代を超え、多くの人々に力を与え続けるだろう。沖縄の海と空、そして風の中で、あなたの歌声はこれからも響き続けていく。