【名護】一丁の三線が半世紀にわたって、沖縄県名護市済井出のハンセン病療養施設「沖縄愛楽園」とうるま市の平安名青年会をつないできた。三線の持ち主は平安名出身で愛楽園の入所者だった故・外間昌栄さん。差別を恐れて古里に帰れない入所者にエイサーを楽しんでほしいと、慰問演舞を郷里に働き掛けた。慰問はことしで56年。1984年に青年会へ寄贈された外間さんの三線は園と青年会との絆、差別にあらがう象徴になった。
平安名青年会は毎夏、外間さんの三線を園内に響かせ、それぞれの古里を思う入所者の心と共鳴する。
愛楽園自治会などによると、外間さんは1908年、当時の勝連村に生まれ、39年に愛楽園に入所した。沖縄戦を経験し、園内区長や自治会評議員などを務め園内生活の向上に尽力した。歌とエイサーが大好きで、自治会納涼祭では進んでエイサーを踊り、新年会やクリスマス会では自慢ののどを披露したという。
平安名青年会のOB祖堅大輔さん(31)によると、1962年、当時の青年会会員たちがハンセン病患者への差別に反発し、ひとときでも悲しみやさみしさを忘れてもらいたいと外間さんの招待に応じたことから実現した。祖堅さんは「同じ人間なのになぜ偏見を持つのかという気持ちが強かったと聞いている」と話す。
ことしも9月19日、平安名青年会が愛楽園でエイサーを披露した。入所者や職員ら約60人がパーランクーを主体とした200年以上の伝統を誇る演舞を堪能した。外間さんの三線が奏でる音色に合わせ手踊りしたり、歌を口ずさんだりして楽しむ入所者の顔には満面の笑みが広がっていた。
平安名青年会では外間さんの三線は愛楽園で「一番いい音を出す」と言われている。今年、地謡を担当した新屋敷好隆さん(32)は「やっぱり音が違う。ここで弾くと喜んでいるような、きれいないい音が出る」と話した。
愛楽園は10日、開園80年を迎える。自治会の金城雅春会長は「入所者の平均年齢は84歳になり、車いすの入所者も増えた。若者の元気な踊りで力をもらえる。来年もまた来てもらいたい」と語った。
(佐野真慈)