返還実現の見通し不透明 辺野古の軟弱地盤や返還条件も調整できず 普天間返還合意から23年


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 日米両政府が1996年に米軍普天間飛行場の全面返還に合意してから12日で23年が経過した。日本政府は代替施設として名護市辺野古の新基地建設を強行しているが、軟弱地盤の問題などで全体の工期や工費を示すことができていない。緊急時の民間飛行場使用など返還条件も調整できておらず、当初「5~7年」としていた返還の実現は見通せないままだ。所属機の事故が相次ぐ中、日本政府は県に全力を尽くすことを約束した「5年以内の運用停止」を県に責任転嫁する形でほごにし、普天間飛行場の継続使用のための改修工事を負担している。

 米軍普天間飛行場所属機によるトラブルは後を絶たない。今年に入り既に3回、民間空港などへの緊急着陸が確認されているほか、2017年には東村高江に不時着し炎上する事故や同飛行場に隣接する普天間第二小学校に窓を落下させる事故も発生している。返還合意から23年を迎えた今も危険性の除去にはほど遠いのが現状だ。

 ここ5年間でも16年に名護市安部に垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが墜落したほか、17、18年もトラブルが相次いだ。17年8月にはオーストラリア沖でMV22オスプレイが墜落し、乗組員3人が死亡。同年10月11日には東村高江にCH53Eヘリが不時着し炎上した。民間地などへの不時着や緊急着陸は17、18年の2年間で17件に上った。今年に入っても渡名喜村入砂島や鹿児島県の沖永良部空港、大阪府の伊丹空港への緊急着陸が相次いでいる。

 所属機の中でも、特に安全性が懸念されていたMV22オスプレイのトラブルが目立った。

 オスプレイは12年10月に普天間飛行場に24機が配備されたが、これまで2機が墜落しているほか、本紙が確認しているだけで部品落下が3件、民間空港などへの緊急着陸が10件発生している。