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「出産の直前まで市場に立った」支え合ったお向かいさん 建て替えと共に閉店〈まちぐゎーあちねー物語 変わる公設市場〉3 卒業(上)上原節子さん、翁長優子さん


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第一牧志公設市場の建て替えを機に店を閉める(左から)翁長優子さん、上原節子さん。いつもおしゃべりに花が咲く=那覇市の同市場

 「せっちゃん」「おゆうさん」。那覇市の第一牧志公設市場の階段下でそう呼んで笑い合う2人がいる。上原節子さん(72)と翁長優子さん(74)。最初の建物の頃から50年余、上原さんはかまぼこ、翁長さんは肉を売っていたが、5~7年前からは、2人とも海ぶどうなどのお土産品を販売している。今年6月の市場移転を機に2人そろって市場を“卒業”する予定だ。

 久米島出身の上原さんは、23歳でかまぼこ屋に嫁いだ。午前3時に起きて松尾の工場でかまぼこを作り、一度家に帰って朝食を済ませてから、9時ごろから夕方まで市場でかまぼこを売った。臨月の日も市場に立った。「陣痛が来たから病院行きますって店出て。今思えばすごいよね」。

 1969年の火事の時、上原さんは市場で煙が上がるのを見た。上原さんの店に被害はなかったが市場が焼けた光景は「ショックだった」。その分、72年に新市場が完成したことはうれしかった。同じころ、市場に近い沖映通りへの大手スーパー、ダイエーの進出が決まった際は、上原さんは反対運動の輪の中にいた。「客が取られてしまう」。市場を守ろうと声を上げた。

 

沖映通りへのダイエー進出に反対する市場や商店街関係者ら。上原節子さんも列に加わった=1973年10月25日、那覇市牧志の平和通り

翁長さんは、小禄の実家が営む精肉店を手伝い、20歳から市場で働いている。朝は食肉処理場で、小柄な自らの背丈ほどある豚肉をかついで仕入れた。運搬も加工も全て1人でこなしてきた。「忙しすぎて30代はなかったんじゃない?」と思い出して笑った。

 2人が仲良くなったのは、新市場に来て店舗が向かい合わせになった時からだ。世間話や家族の話をしたり、どちらかの店の品物を切らしていたら提供したり。2人とも休みは月に2回だけ。それでも続けてきたのは「もうけたいからさ」とおどけた後で、翁長さんが「あんたがいるから買いに来たよとお客に言われるとうれしいからかな」とはにかむと、上原さんも「そうだねえ」と相づちを打った。

 「辞める」と先に言い出したのは翁長さん。市場の建て替えが決まった時だった。「子どもも別の仕事をしていて跡継ぎもいない。たくさん働いたから辞めていいかなって」。翁長さんの報告に上原さんは一緒に卒業することを決めた。「少しさみしいけど、そろそろ自分の時間もほしいから」。「辞めてもおうちに遊びに行くさあね」と2人。支え合ってきた友情はこれからも続きそうだ。
(田吹遥子)

(琉球新報 2019年2月26日掲載)