ひめゆりの塔のそばに小さな慰霊塔があるのを知っていますか?


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大田さん一家の冥福を祈り、玉串を奉納した有志ら=19日、糸満市伊原の「赤心之塔」

 【糸満】沖縄県糸満市の第三外科壕に米軍のガス弾が投げ込まれた1945年6月19日、ひめゆり学徒らと共に犠牲になった民間人の大田さん一家をしのぶ慰霊祭が19日、市伊原の「赤心之塔」であった。金光教那覇教会の林雅信さん(79)が祭詩をささげ、南風原町の子ども平和学習事業OBらが冥福を祈った。

 壕は戦時中、伊原の住民が避難場所にしていた自然壕だったが、日本軍が住民に立ち退きを命じて沖縄陸軍病院第三外科として使用した。大田トシさんらは、3~9歳までの幼子3人と、高齢の義母ナハさんがいたために壕に残ることを許された。しかし45年6月19日、米軍のガス弾が投げ込まれ、偶然壕を離れていたトシさん以外のナハさん、9歳の義雄さん、5歳の繁子ちゃん、3歳の貞雄ちゃんが亡くなった。

 慰霊祭は26年前から開かれている。95年にはトシさんが81歳で亡くなり、その後は林さんらが意志を受け継いだ。

 林さんは「戦後と呼ばれる終わりなき日々が続いているが、いまだに沖縄の問題は整えられていない。平和な世の中を創造しなければならない」と話した。