「大学にヘリが落ちた」煙、悪臭の方向に急ぐ 現場は米軍が封鎖、県警を排除 15年前に沖縄で起きたこと


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米軍普天間飛行場所属のヘリコプターが墜落し、激しく炎上する沖縄国際大の校舎。手前は現場に駆け付けた米兵=2004年8月13日、宜野湾市の沖縄国際大(読者提供)

 米軍ヘリ沖国大墜落事故から13日で15年。周辺住民や大学関係者を危険にさらした事故を受け、米軍普天間飛行場の危険性除去が喫緊の課題となったが、事故から15年が経過してもなお普天間飛行場は継続して運用されている。政府は「辺野古移設が唯一の解決策だ」と移設工事を強行しているが、米軍専用施設の約7割が集中する沖縄の負担に対する県民世論の反発は大きい。ヘリ墜落事故後も部品落下事故が相次ぐなど、県民の生命と財産を危険にさらす普天間飛行場。事故当時の様子や記者が振り返る。

 昼食後、沖縄県警察の記者クラブで一息ついていると、他社が慌ただしく動き出した。すぐに確認のため各署や消防に電話をかけまくった。宜野湾市消防本部に電話がつながった。「ヘリが落ちた」

 2004年8月13日午後2時15分ごろ、沖縄国際大学に米軍普天間飛行場所属のCH53Dが墜落、炎上した。母校であり、事故の3年前は派遣職員として勤務し、多くの教職員の世話になった大学だ。

 学生時代、大学に隣接する普天間飛行場は当たり前の存在だった。同基地所属の兵士と交流したことがある。身近な存在だった。

 現場に急行しながら、職員に電話した。「けがはないが、大学が大変なことになっている」。ほっとしたが、電話越しに聞こえる喧噪(けんそう)が不安をかき立てた。

墜落した米軍ヘリの残骸。界面活性剤で消化されている=04年8月13日

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 煙と異臭の方向に急いだが、規制線が広範囲に張られ、なかなか近づけない。ようやく構内に入ると大勢の迷彩服の海兵隊が、ヘリが激突した、大学の心臓部である本館とその周辺を占拠していた。大学関係者だけでなく県警の捜査員らを締め出していた。

 入社3年目で多くの事件事故の現場を取材してきたが、どの現場でも規制線を張って捜査する警察が締め出されている光景が信じられなかった。

 大学の自治のみならず、日本の主権が消失していた。

 「取材のため中に入りたい」。米兵に話し掛けたが、「誰も入れるなと命じられている」と取り付く島もなかった。

 目撃者から証言を集めようと取材を始めた。用務員の男性が「大きな音が聞こえたと思ったら、頭のすぐ上をプロペラの羽が飛んで行った」と目を見開いて話した。大学関係者や周辺住民に死傷者が出なかったのは奇跡としか言いようがない。

米軍ヘリが墜落した現場と壁が黒く焼け焦げた大学の建物=04年8月13日、宜野湾市宜野湾の沖縄国際大学

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 あれから15年。政府は「危険性除去が最優先だ」と普天間飛行場の移設工事を進めている。移設先は同じ沖縄だ。街のど真ん中ではなくなるものの、危険性が本島中部から北部に移されるだけ。沖縄がどんな思いでこの15年、戦後74年を生きてきたか。沖縄戦や戦後の米軍絡みの事件事故。主権をないがしろにされるだけでなく、命を奪われ、心身に傷を負わされた。米軍ヘリ墜落事故は県民の間に集積された恐怖を呼び起こし、心の傷をえぐった。

 日本を取り巻く安全保障環境は不安定さを増している。二度と戦争を経験しないためにも、外交や安全保障政策は重要だ。抑止力の要は空軍や海軍とされる。在沖米海兵隊がなくても抑止力は維持できると主張する専門家もいる。

 移設先で事故が起きないとは言い切れない。県民の生命と財産を脅かしかねない新たな基地は要らないとの民意は知事選や国政選挙、県民投票でも繰り返し示されている。「日本の明日を切り拓く」と宣言する安倍政権の青写真に、沖縄の明日の安全は入っているのだろうか。

 (松堂秀樹 政治部副部長・記者)

沖縄国際大学 米軍ヘリ墜落事故

 2004年8月13日午後2時15分ごろ、宜野湾市宜野湾の沖縄国際大学の旧本館に、米海兵隊のCH53D大型輸送ヘリコプターが衝突し墜落、炎上した。事故発生後、米軍が事故現場を封鎖。大学関係者の立ち入りや県警の現場検証を拒否し、日米地位協定の弊害の大きさが浮き彫りになった。米軍は県や宜野湾市、日本政府が反対する中、事故から9日後に同型機を強行飛行させた。

<ドキュメント>

■2004年8月13日 (肩書はいずれも当時)

 14時15分 米軍普天間飛行場から訓練飛行のため飛び立ったCH53Dヘリがバランスを失い沖国大1号館(本館)に衝突後、駐車場に墜落。「直後に米兵約50人が構内に入り、事故現場を封鎖。本館から職員を退去させられた」と大学職員

 14・19 宜野湾市消防本部から消防、救急車両11台が出動

 14・20 伊波洋一宜野湾市長が市内で普天間基地返還要請のための訪米行動したことの報告中、事故の知らせを受ける

 14・25 消防が現場到着、消火作業開始。構内放送で学生に退避呼び掛け

 14・40 火災鎮圧

 14・50ごろ 米軍が通行止め。墜落のニュースを知った市民らで現場が混雑

 16・30 本館に入ろうとした渡久地朝明沖国大学長らを米軍、県警が制止。渡久地学長「強く抗議」。市議会が基地関係特別委員会を招集

 17・45 伊波市長と渡久地学長が会見。「最悪のヘリ事故」

 19・20 ブラックマン四軍調整官がキャンプ瑞慶覧で記者団にコメント発表。「不安をもたらし深く遺憾」

 21・00 四軍調整官らが県庁を訪れ、牧野浩隆副知事に謝罪

 23・00 嘉数知賢防衛政務官らが同副知事に謝罪

 23・45 沼田貞昭沖縄大使が同副知事に謝罪