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きっかけは電車での席譲りだった 石垣出身者、ネパールで私立学校を創設、3年ぶりに現地戻り教え子と再会


きっかけは電車での席譲りだった 石垣出身者、ネパールで私立学校を創設、3年ぶりに現地戻り教え子と再会 川端さんが寄贈したTシャツを着るネパールの子ども(川端さん提供)
この記事を書いた人 アバター画像 琉球新報朝刊

 【浦添】ネパールで私立学校を立ち上げ、コーディネーターを務めた教育者の川端美和子さん(71)=浦添市在住=が8月、同国カトマンズにある学校などを訪れ、オリジナルデザインのTシャツ60枚を寄贈した。新型コロナウイルスの流行を受けて2020年に帰沖して以来、3年半ぶりに恩人やかつての教え子に会った。

 川端さんは、出身地の石垣市で1994年に私塾「自由学校」を設立し、音楽などを通じた「全人教育」に取り組んできた。舞台芸術公演を定期的に行い、新潟県の国際芸術祭にも2009年から、計3度出場した。

 ネパールとの縁は2008年、東京で電車に乗っていた際、席を譲ったのがネパール大使館の職員だったという偶然から生まれた。職員と交流を重ね、同国への関心を深めた川端さんは、11年に自由学校の公演で集まった寄付金で教材を買い、ネパールを訪れて、子どもたちにワークショップをして回った。

ネパールでかつての教え子らと交流する川端美和子さん(左から5人目)=8月12日(同提供)

 2016年、ネットやスマートフォンの普及に伴う子どもを取り巻く急速な環境の変化に「日本で、自分がやれることはなくなったのではないか」と感じ、ネパールへ渡って、私立学校を立ち上げる。学校には3歳から16歳までの生徒が在籍し、生徒数も約200人まで増えた。しかし、コロナで帰国を余儀なくされた。学校は志ある現地の5人の若者に託したが、コロナの混乱の中で、別の経営者の手へと渡ってしまった。

 今夏、現地を訪れた川端さんは、かつての教え子にも再会した。教え子たちは川端さんを見ると、当時を懐かしむように童謡の「ふるさと」を歌ってくれた。寄贈したTシャツは、友人でデザイナー兼、Tシャツ販売を手がける大山朝之さん(41)が託してくれた。大山さんはデザインに「平和な気持ちや、笑顔になってほしいとの思いを込めた」とし、沖縄とネパールの交流が深まったことを喜んだ。

 川端さんは「身の回りの整理が付いたら、ネパールに移住する。小さくてもいいからまた学校を作り、子どもたちの教育に、人生最後の時間をささげたい」と瞳を輝かせた。

(藤村謙吾)

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