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「おじーの誇り」を継ぎ、父とエイサー太鼓作り ボリビア・諸見謝春夏さん


「おじーの誇り」を継ぎ、父とエイサー太鼓作り ボリビア・諸見謝春夏さん ボリビアで太鼓制作を行う諸見謝さん家族。幸孝さん(左から2番目)と春夏さん(右から2番目)
この記事を書いた人 アバター画像 琉球新報朝刊

 琉球國祭り太鼓ボリビア支部に所属する諸見謝春夏さん(18)。エイサーに欠かせない太鼓制作を祖父の故・諸見謝幸雄さんから受け継ぎ、父・幸孝さん(59)と二人三脚で制作している。

 ボリビアで太鼓作りが始まったのは、琉球國祭り太鼓ボリビア支部が設立された2000~02年ごろ。同団体の太鼓のほとんどが幸雄さん制作のものだ。

 幸雄さんは具志頭村(現八重瀬町)出身で1959年にボリビアに移住した。その約30年後、沖縄県派遣教師の島袋正雄さんに勧められて三線作りを始めた。以来、胡弓(クーチョー)、パーランクー、大太鼓など、さまざまな沖縄の楽器を移住地で制作してきた。

 太鼓の革や木材選び、革作り、胴作り、革張りまで全てを一人でこなしてきた幸雄さんだったが、2011年に他界した。春夏さんが6歳の時だった。「一緒に過ごした記憶はほとんどないけど、地域の人から『おじーは太鼓と三線を作っていたすごい人だったよ』と何度も言われるうちに、おじーへの誇りと尊敬が生まれた」と話す。

 祖父の思いを引き継ぎ、太鼓作りを本格的に始めた春夏さん。「主に大太鼓、締太鼓の作り方を父が教えてくれました。父が木材選びをして、胴作りと革張りは難しい作業なので二人でやっています。びょう打ちと色塗りは自分一人でやっています」と説明する。

 太鼓の胴に張る革は牛の皮をなめし、太鼓の革に仕上げていく。「皮に付いている余分な肉片や脂肪を取り除く作業が臭くて大変」と笑う。太鼓の胴に使用する木材が最近は手に入りにくく、全ての材料をそろえることが難しいという。それでも、ボリビアで太鼓の音を絶やしてはいけないと奮闘しながら制作を続けている。

 来年はオキナワ移住地が入植70年を迎える。春夏さんは、子どもたちが沖縄の文化に興味を持ち続け、未来に受け継いでいってほしいと願っている。

 (安里三奈美通信員)