嘉手納町出身で、1961年に家族で南米ボリビアに移住した知花松夫さんが4月5日に死去した。85歳だった。想像を絶するほど過酷な環境下にあったボリビアで、水や電気もない中で手探りで原生林を開拓するなど、移住地の発展の礎を築いた。
知花さんは1938年生まれ。23歳の時に琉球政府の第13次移民団としてボリビアに渡った。度重なる風土病、自然災害に見舞われ、日本や隣国へ去る家族も多くいた。知花さんは転住者の土地を購入し土地を広げ、綿花、大豆、トウモロコシ、麦、ソルガムなどを栽培した。60歳で農業を引退、子どもたちに畑を譲った後は、ゲートボールを楽しんでいた。青年活動にも積極的に参加し、若い頃は運動会で自慢の足の速さを披露していた。
第4次移民団でボリビアに入植した宮里良子さんと結婚して三男一女の子宝に恵まれた。孫は7人。2019年に良子さんに先立たれ、悲しみで行事などに出掛けなくなっていた。孫の美奈さんが「おじいちゃんを元気にしたい」と考え、今年1月にビデオ会議システムを活用、知花さんの親友の渡口彦昌さん(87)と63年ぶりの再会を実現させた。
ボリビア出発前の1961年2月。「沖縄の島を知花くんの心に焼き付けておこう。最後の思い出を作ろう」と、2人で沖縄本島一周を歩いたという。その思い出を最後に、音信不通だった。画面越しに再会を果たした2人はお互い沈黙する場面もありながら、胸がいっぱいだと涙をぬぐい、感動の言葉を何度も伝えた。
知花さんの長男・雄さん(60)は「父はよく沖縄一周のことを自慢げに話していた。父の心に残る大きな節目となった思い出だったと思う。沖縄一周があったからこそ苦難を乗り越える力になり、今の自分たちがいると思う。彦馬さんとの再会で一時、見違えるほど元気を取り戻していた」と、生前の友人やお世話になった関係者らに感謝を伝えた。
(安里三奈美通信員)