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依存症で48回入退院 当事者語る「“浮輪”のような場、増えてほしい」 沖縄・那覇で講演会


依存症で48回入退院 当事者語る「“浮輪”のような場、増えてほしい」 沖縄・那覇で講演会 生い立ちを語る渡邊洋次郎さん=6日、那覇市の那覇文化芸術劇場なはーと
この記事を書いた人 Avatar photo 吉田 早希

 薬物・アルコール依存症により精神科病院への入退院を繰り返し、現在は依存症回復施設で働く渡邊洋次郎さん(47)を招いた講演会(著者を囲む会企画)が6日、那覇市の那覇文化芸術劇場なはーとで開かれた。渡邊さんは「依存症の人が依存と向き合い、自分のままでいられる“浮輪”のような居場所が増えてほしい」と語った。参加者から質問を受ける座談会もあり、依存症との向き合い方や生き直しを支える社会について考えた。

 講演会の前半は渡邊さんが生い立ちを包み隠さず語った。渡邊さんは大阪府生まれ。両親と姉、妹の5人家族で育った。小学生の頃からたばこを吸ったり万引をしたりした。両親が仕事の間に預かってくれた祖母の財布からお金を取り、買った物を友人に配った。中学ではシンナーを吸ったり、バイクに乗ったりした。

 周りから「どんな気分になるの」「警察の取り調べって怖い?」と聞かれると、みんなが知らないことを自分は知っている、と優位に立てた気がした。「そういうことをしないと人が自分に関心を持ってくれないと思っていた」

■目の前に「心臓」

 16歳から少年院に入ったが、その際に父親ががんで亡くなった。水商売で日常的に酒を飲むようになり、薬物・アルコール依存症により20歳で初めて精神科病院に入った。30歳までの10年間で計48回、入退院を繰り返した。

 その後、刑務所に3年間服役した際、ある体験をした。独房にいると突然、目の前に「心臓」が現れた。小さい頃から自分を醜い人間だとさげすんできたが、その時「自分の意思ではないものに生かされている」と思った。自分のことを分かってくれないと周囲を批判してきたが、誰よりも分かろうとしなかったのは自分自身だった。それを機に「命に対して誠実でありたいと望むようになった」と振り返った。

 出所から現在まで、薬物やアルコールを断っている。依存症からの回復を支援する、大阪府の「リカバリハウスいちご」正職員として、グループホームや就労継続のサポートを行っている。

■別世界ではない

 後半は会場からの質問を募り、渡邊さんとおきなわ「非行」と向き合う親たちの会(さんぽの会)の井形陽子さん、那覇市議の糸数貴子さんの3人による座談会が開かれた。社会の中で変えたいことを問う質問に対して、渡邊さんは、精神科病院や自助グループなどを自分が自分のままでいられる“浮輪”と例えた。「社会に理解が広がり、依存症の人が自分のままでいられる浮輪が増えることが大事だと思う」と訴えた。

 糸数さんは「制度としての浮輪を作っていきたい」と話した。井形さんは「失敗を許さない仕組みではなく、誰もが生き直し、やり直しができ認め合える社会にしたい」と語った。

 渡邊さんは年2回ほど米国に渡り、依存症のある学生の通学を支援する大学や、依存症のある高校生のための学校を視察するなど幅広く活動する。また、全国各地での講演にも力を入れている。当事者の話を初めて聞いたと語る人も多いといい「依存症が決して別世界のことではないと伝えたい。自分事として考えるきっかけになればと思う」と話した。

 (吉田早希)