知念栄治さんはりゅうせきや沖縄セルラー電話で会長を務めた企業家だった。そして県経済団体会議議長などを務め、経済団体の長としても県経済の振興に携わってきた。
知念さんが琉球石油(現りゅうせき)社員だった若い頃、私の父で創業者の一郎の命を受け、インドネシアとの協力深化に向けてカリマンタン島(ボルネオ島)に何カ月も滞在した。そういった経歴が物の見方に影響を与えたのではないか。一郎が参院議員の時には秘書をしていた。政治の流れや日本全体の動きに熟知し、秘書活動に伴い人脈もあった。
政治の面では仲井真弘多さんの知事選で擁立から関わり、知念さんと仲井真さんは親しかった。培った知識や人脈を生かして経済界から積極的に仲井真さんを支援した。
性格は真っすぐで、自分の思うところはやや強引でも進んでいく強さがあった。それを貫き通した、非常に印象的な男だった。脳梗塞で倒れて長らく入院していたが、惜しい人をなくした。
(元知事、談)