りゅうせき会長や沖縄セルラー電話会長、県経営者協会長、沖縄懇話会代表幹事などさまざまな経済界の要職を務め、経済振興に貢献した知念栄治(ちねん・えいじ)さんが16日午後0時47分、敗血症性ショックのため南風原町の病院で死去した。84歳。本部町山里出身。自宅は浦添市内間。近親者のみで家族葬を執り行う。
1962年に琉球石油(現・りゅうせき)入社。71年に稲嶺恵一元知事の父で参院議員だった一郎氏の秘書に就いた。その後りゅうせきで93年から社長、99年から2006年まで会長を務めた。
06~15年に沖縄セルラー電話会長、06~12年に県経営者協会長。07年に民間出身で初めて県産業振興公社理事長に登用され、14年まで務めた。
経済界のまとめ役として沖縄大交易会や那覇空港第2滑走路建設などに関わった。
アジアに近接する沖縄の地理的優位性を生かした経済振興に尽力した。
06年の知事選で、当時県商工会議所連合会会長の仲井真弘多氏を擁立した選考委員会の座長を務めるなど、政治活動にも関わった。
(梅田正覚)
政治の流れ熟知した企業家 知念栄治さんを悼む 稲嶺恵一(元県知事)
知念栄治さんはりゅうせきや沖縄セルラー電話で会長を務めた企業家だった。そして県経済団体会議議長などを務め、経済団体の長としても県経済の振興に携わってきた。 …