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「語り部」相次いで他界 沖縄戦の体験継承へ尽力<沖縄この1年2023>6


「語り部」相次いで他界 沖縄戦の体験継承へ尽力<沖縄この1年2023>6 インタビューに答える中山きくさん=2020年6月、那覇市泉崎の琉球新報社
この記事を書いた人 Avatar photo 中村 万里子

 沖縄戦継承に取り組んできた体験者の「語り部」が今年、相次いで他界した。大勢の住民の命を奪った悲惨な戦争の実相を戦後、先頭で伝え続けてきた。

 元白梅学徒で白梅同窓会長の中山きくさん=享年94=は1月12日に死去した。戦時中、野戦病院で負傷兵の看護に動員された体験を沖縄戦から50年の節目に語り始めた。女子学徒の沖縄戦体験の継承にあってはリーダー的存在で、元女子学徒らを束ねて「青春を語る会」を発足。1999年から2016年まで活動を続けた。戦争につながるものへの反対を貫き、基地問題や教科書検定などでも積極的に発信した。

 元ひめゆり学徒で、糸満市のひめゆり平和祈念資料館館長などを務めた本村ツルさん=享年97=は4月7日に死去。ひめゆり学徒隊の沖縄戦の継承と次世代の語り部育成に尽くした。自身の沖縄戦体験は、軍に強力し大勢の後輩を亡くしたことから、人前で語ることができないほどの後悔を背負い続けた。資料館の運営を引き継いでも次世代を見守り続けてきた。

 対馬丸事件の語り部として平和教育に尽力した平良啓子さん=享年88=は7月29日に亡くなった。安波国民学校の4年生だった9歳の時に対馬丸に乗船し、奇跡的に生還。戦後、小学校教員として教壇でも自身の体験を語り、平和と命の大切さを伝え続けてきた。

 元なごらん学徒の語り部だった上原米子さん=享年96=は10月11日に他界した。小中学生や高校生に伝わるように自作の絵を使い、動員された病院で麻酔なしの手術が行われた様子などを生々しく伝えた。

 糸満市摩文仁の「全学徒隊の碑」建立に取り組んだ上原はつ子さん=享年94=は10月25日に他界。元一中学徒通信隊として動員された宮平盛彦さん=享年92=は4月14日、元県立第三中無線通信隊の東江新太郎さん=享年93=は10月29日にそれぞれ死去した。

 沖縄戦から80年近くたち、体験を語れる人が少なくなる中、次世代による沖縄戦体験の記憶を受け継ぐ取り組みも活発化している。沖縄戦の全体像と体験をいかに今に引きつけて学ぶかが課題となる中、証言を収録した県史や市町村史、字誌などの記録の活用や、戦争遺跡を通した取り組みも期待されている。

 (中村万里子)
 (おわり)