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新しい葬儀の形「エンバーミング」とは 大切な人らと共に過ごし、ゆっくりお別れを  沖縄


新しい葬儀の形「エンバーミング」とは 大切な人らと共に過ごし、ゆっくりお別れを  沖縄 「エンバーミングという選択肢を広めていきたい」と語る當眞ゆいさん(左)、嗣音さん=2023年12月、南風原町
この記事を書いた人 Avatar photo 嘉陽 拓也

 家族や親しい人が亡くなった後、葬儀日程に追われず遺族が望む別れを実現しようと、葬儀や納棺などを請け負う「敬天」(南風原町)が昨年11月10日に、遺体の腐敗を止める「エンバーミング(遺体衛生保全)」施設を稼働させた。12月20日までに、県内外や海外含めて18件に対応した。當眞ゆい代表は「多くの方は自宅などで5~6日、共に過ごされる。ドライアイスもなく眠っているような姿の故人に触れ、駆けつけた親しい人とお別れすることもできる」と語り、新しい葬儀の形の普及を目指している。

 敬天が所有する施設はトレーラーハウス型で災害派遣も想定した全国初の可動式だ。

 遺体に向き合うエンバーマーの當眞嗣音さんは、養成学校を卒業し、日本遺体衛生保全協会(IFSA)の認定資格を持つ。當眞さんによると、施術時間は通常で3時間、長くても約1日。遺体の状態を確認後、カテーテルで衛生保全液を体内に浸透させていく。保存液の調合次第で生前の肌の色に戻し、その後、髪型や化粧を整える。司法解剖時の縫合も目立たないように処置するという。

 依頼の中には海外搬送の事例もあった。長年沖縄で暮らしていたフィリピン人の家族は、亡き父親の施術後、県内で思い出の地や知人らを巡る「メモリアルドライブ」を行い、母国に戻って葬儀を行った。

 こうした事例にやりがいを感じる一方で、病気で子ども亡くした後、慌ただしく見送った母親からは「もっと早くエンバーミングを知りたかった」との声もある。

 親やきょうだい、子どもが天国に旅立った後、火葬によってその姿とも別れなければならない。それまでの短い日々の中、エンバーミングを受けた故人と触れ合い、今後の人生を歩む遺族が前を向いてくれれば。そう願う當眞きょうだいは「エンバーミングという選択肢があることをもっと広めたい」と語った。

 (嘉陽拓也)

3日間、母に寄り添った 池田さん(与那原町) 「カジマヤーに戻った」

「エンバーミングを受けた後の母親は寝ているように自然で、顔も遺影に使ったカジマヤーの写真そのものだった。やってよかった」と語る池田正彦さん=1月13日、与那原町

 「カジマヤー(数え97歳)の頃の姿に戻り、皮膚がんがあった顔もきれいにしてもらった。まるで寝ているような母と過ごした最後の日々は家族にとって良い思い出となってます」。昨年12月に亡くなった母・池田良子さん(享年99歳)のエンバーミング(遺体保全)を「敬天」に依頼した次男・正彦さん(62)は、涙をにじませながら笑顔でそう語る。

 浦添市の学校給食調理場で働きながら子ども5人を育てた母は、36年前に夫・真正さん(享年59歳)が亡くなった後も80代まで「歩き歩き」していたという。90歳を過ぎて高齢者施設に入所後、亡くなる1年前にできた顔の皮膚がんが左目下からあごまで広がっていた。

 皮膚がんはエンゼルメークでもテープで覆うしかなく、独特なにおいもあったため「ひ孫たちに見せられるかな」と不安だった時に葬儀社からエンバーミングを提案された。

 施術は亡くなった翌日。母の顔から病気の跡やにおいが無くなると、きょうだい一同「(そのままだと)天国のお父さんが驚いたはずよー」とほっとした。

 火葬までの3日間、顔の色も変わらない母に家族が寄り添った。「皆が母の頭をなでるのでカールで整えた髪がつぶれてね。毎日、施術をした當眞嗣音さんが整えてくれた」と正彦さん。

 県内ではエンバーミングの認知度は低いが、正彦さんらきょうだいは「私たちは思い出に残る良い時間ができたのでやって良かった」と語った。

 (嘉陽拓也)


<用語>エンバーマー

 日本遺体衛生保全協会(IFSA)による民間認定資格。2023年4月時点で全国に315人いる。養成校は、エンバーミング学科がある日本ヒューマンセレモニー専門学校(神奈川県)のみとなっている。