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10・10空襲で沈没 日本軍の潜水母艦「迅鯨」犠牲者135人を追悼 沖縄・本部で慰霊祭


10・10空襲で沈没 日本軍の潜水母艦「迅鯨」犠牲者135人を追悼 沖縄・本部で慰霊祭 10・10空襲で攻撃を受けた「迅鯨」の犠牲者に手を合わせる中村英雄さん=10日、本部町崎本部
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 【本部】1944年に米軍が県内各地を爆撃した「10・10空襲」から10日で79年を迎えた。特に被害が大きかった那覇市は、米軍機による無差別爆撃で街の9割が焼失し、255人が犠牲となった。空襲は本島北部にも及んだ。米軍機の攻撃を受け、本部町瀬底島の沖で135人が犠牲となった日本軍の潜水母艦「迅鯨(じんげい)」の慰霊祭が同日、本部町崎本部の鎮魂碑の前であった。

 慰霊祭では乗組員の救助に当たった中村英雄さん(93)が碑に向かい、犠牲者を追悼した。

 当時、近くで漁をしていた中村さんは黒煙を上げる艦のそばで、米軍機が飛び交う中、海に放り出された乗組員らの救助に当たった。迅鯨の乗組員で生存した、故・高屋博さんが2000年に碑を建て、中村さんが毎年、犠牲者の慰霊を続けてきた。

 中村さんは崎本部の自宅から、艦が攻撃に遭った海域を見て「毎日、当時を思い出す」という。空襲から79年目となることを振り返り「この年になって、いろんなことを考えるが、生き延びているのが不思議でたまらない。(事故のことは)いつも頭から離れない」と語った。

 10日の慰霊祭は、高屋さんの遺影や酒、花を手向けて、海域を望む碑の前で手を合わせた。鎮魂碑は中村さんが長年、1人で清掃などを続け、管理をしてきた。2024年の80年の節目を機に「慰霊祭の開催を最後にするか悩んでいる」と話した。

 (池田哲平)