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負の遺産から過ち直視を 沖縄戦講座、参加者30人が首里32軍壕跡たどる


負の遺産から過ち直視を 沖縄戦講座、参加者30人が首里32軍壕跡たどる 第32軍司令部壕の第5坑口前で説明する小那覇安剛さん(右下)と、耳を傾ける参加者ら=25日、那覇市首里金城町
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 「沖縄戦の記憶継承プロジェクト―戦争をしない/させないために」(同プロジェクト実行委員会主催)の第2回講座が25日、那覇市首里で開かれ、参加者約30人が首里城地下に築かれた第32軍司令部壕跡などをたどった。琉球新報の小那覇安剛論説委員長が講師を務め、過去の過ちを直視するためにも司令部壕を負の遺産として保存、公開する必要性があると語った。

 小那覇さんは、第32軍が本土決戦を遅らせるため南部に撤退したことで軍民混在の混乱状態となり、県民犠牲が増大したと指摘。司令部壕は住民保護を無視した作戦の拠点であり、県民のスパイ視という差別と蔑視の発信源、朝鮮半島から連れてこられた女性がいたことなどから、負の遺産と位置づけるべきだと説明した。司令部壕について事実を知ることが重要とし「未来を切り開くためにも、司令部壕を保存・公開し、過去の過ちを直視する場所にすべきだ」と訴えた。

 首里城の東のアザナ下にある留魂壕も訪れた。同壕では、1940年に県内3紙が統合した新聞「沖縄新報」が米軍上陸後も日本軍の戦果を伝え続けた。琉球新報の藤原健客員編集委員は「この場所は、戦争のために二度とペンを取らないという戦後の新聞人の原点だ」と力を込めた。
 (玉寄光太)