川崎米軍機墜落から62年 川崎小で平和集会


川崎米軍機墜落から62年 川崎小で平和集会 制作した詩を群読する川崎小学校6年の児童ら=7日午前、沖縄県うるま市の同校
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 【うるま】1961年に旧具志川村川崎(現うるま市川崎)に米軍機が墜落し、2人の死者と6人の負傷者を出した事故から7日、62年を迎えた。同日、川崎小学校で平和集会が開かれた。体験者の佐々木末子さん(75)や証言集を発刊したうるま市議の又吉法尚(のりひさ)さん(51)が講話した。児童の代表が「事故を繰り返さないためにできることは何か考えていこう」と呼びかけ、自分事として行動していくと誓った。

 集会には全児童約400人が参加した。事故を経て平和を求める2人の声を、米軍機のごう音がたびたび遮った。又吉さんは「当時の事故と同じ経路で今も米軍機が飛ぶ」と話した。屋久島沖のオスプレイ墜落事故にも触れ「もしみんなの上に落ちていたら…」と涙を浮かべた時、米軍機のごう音がまた響いた。又吉さんは「これが沖縄の現状だ。命の大切さ、平和を考える機会にしてほしい」と願った。

 6年生は集会に向けて学習を重ね新聞、絵、詩を作成した。「感謝とともに未来へ」と題する詩を6年生全員で群読した。新聞と絵は会場の体育館に掲示された。新聞を作成した根保莉子さん(12)は証言集を元に記事をまとめた。「体などに被害がなくても心に傷があることが分かった」と振り返る。米軍機に関わる事故をまとめた野里くるみさん(12)は「墜落事故は今も続いている。沖縄に落ちたら怖い」と危機感を抱いた。 (金盛文香)