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西表炭鉱、徴兵…50年前の台湾の人々映す 亡き肉親の姿に涙も ドキュメンタリー映像「アジアは一つ」、南風原と宜蘭で上映 


西表炭鉱、徴兵…50年前の台湾の人々映す 亡き肉親の姿に涙も ドキュメンタリー映像「アジアは一つ」、南風原と宜蘭で上映  オンラインで台湾・南澳のタイヤル族の人々とつながったフォーラム=9日、南風原町の南風原文化センター
この記事を書いた人 Avatar photo 中村 万里子

 1969~72年に沖縄から島づたいに台湾に渡り、日本の旧植民地だった台湾や朝鮮の人々の暮らしを映したドキュメンタリー映像「アジアはひとつ」(73年、布川徹郎・井上修監督)の上映会が9日、南風原町の南風原文化センターで開かれ、約90人が参加した。国家や植民地主義への疑問を投げ掛ける映像について、会場からは“台湾有事”を名目に南西諸島で軍備増強が進められる中、県民に戦争反対の機運が高まっていることを重ねる声も。「虐げられながらなんとか生きるたくましさを感じた」「どうあらがえばいいか、考えさせられた」といった受けとめが聞かれた。

 映像は学生らでつくるNDU(日本ドキュメンタリストユニオン)が作製。2019年に「台湾原住民族との交流会」事務局で中国残留孤児の支援にあたる安場淳さんが映像の存在を知り、同会会員の久部良和子さん=南風原町=に声をかけた。当時フィルムは貴重で映像はほとんど残されておらず、現地で上映会をして関係者に見てもらいたいと考えたという。

 映像では、西表炭鉱や沖縄本島の建設現場で過酷な労働環境に置かれた台湾や韓国の人々の様子を紹介しているほか、50年前の台湾・宜蘭県南澳郷のタイヤル族の集落と人々の姿も写されている。日本兵として徴兵された先住民のインタビューも出てくる。

 元NDUメンバーの今郁義さんは反響の大きさに「映像の記録性や魅力を感じる。時代を超えてこの映画に久部良さんが息を吹き込んでくれた」と評価。新里幸昭さん(81)は「弱い人たちが団結して生きていくたくましさが見えた。南西諸島でミサイル配備が進む現在の状況の中で非常に示唆に富む映像だ」と指摘した。那覇市と名護市から訪れた70代女性は「創氏改名など日本の皇民化の大きな影響を感じた。貴重なインタビューでもっと上映会をしてほしい」と涙を浮かべた。

 映像を制作した監督2人はすでに他界。台湾原住民族との交流会は今後、著作権を持つ団体などと協力し、50年前に写された状態の良い写真を南澳の親族に渡す活動を模索していくという。

台湾でも上映会

 「あれは私のお母さん!」「私のおじいちゃんとおばあちゃんだよ」。10月下旬、台湾・宜蘭県南澳で開かれた「アジアはひとつ」の上映会には、大きな反響が寄せられた。50年前に撮影された亡き肉親の姿などを一目見ようと会場は熱気に包まれた。かやぶき屋根の家々や子どもたち、運動会でタイヤル族伝統の踊りを披露する姿などが映し出されると、来場者は立ち上がって指を指したり、歓声を上げたりして興奮した様子で見守った。47年前に死去した母親の姿を映像で見つけた曹恵玲さん(58)は「懐かしい。本当にありがとう」と涙を流し、喜んでいた。

 映像の中で記念写真に写るバサオ・ノカン(林長盛)さん(88)が存命だということが会場に来た人の話で分かり、急きょ会場に駆けつける場面もあった。流ちょうな日本語で自身の先住民族としてのアイデンティティーや日本への複雑な思いなどを語った。

 ノカンさんの祖父は、日本の台湾統治初期に抵抗して日本軍に銃殺された。父親は警察官だったことから、他のタイヤル族の子どもたちが学校教育を受けられない中、宜蘭の寄宿学校で日本人と同じ教育を受けたという。日本の敗戦で植民地統治が終わり、戦後国民党が政権を握ると学校では「日本人」としていじめられた。

 その後、郷長として10年間務める中で集落に電気を通すなど生活改善に努めたノカンさん。9日のフォーラムでは日本語で「沖縄とつながることができてとてもうれしい」とオンラインを通して呼びかけ、拍手を浴びていた。
 (中村万里子)