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「県民だましている」「地域復活させたい」… 辺野古住民の思いが揺らぐ26年 代執行訴訟、沖縄県敗訴


「県民だましている」「地域復活させたい」… 辺野古住民の思いが揺らぐ26年 代執行訴訟、沖縄県敗訴 埋め立てが続く名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ沖の新基地建設現場(辺野古側)=2023年9月
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 【名護】米軍普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古の新基地建設問題を巡る代執行訴訟は20日、県の敗訴となった。移設計画浮上時の海上ヘリ基地の賛否を問う、1997年12月21日の名護市民投票から26年。辺野古住民の基地建設に対する思いは揺らいでいる。 

 新基地建設反対を訴えた「命を守る会」=2015年解散=の元代表・西川征夫さん(79)は「県民や地元をだまし、辺野古ありきで進められている」と話す。反対の思いは変わらないが、国が工事を着々と進めてきた経緯から「諦めてはいないが基地は来るんだろう。来たらどうするべきか、区もしっかり考えるべきだ」と声を落とした。

 復帰前は警備隊として米軍キャンプ・シュワブに務めたこともある。基地建設の危険性を訴える勉強会に参加したことで反対の思いを強めた。97年1月に辺野古区民らで「命を守る会」を結成し、基地建設への抗議運動を展開した。同年12月の名護市民投票で反対が賛成を上回り「運動を終えられる」と思った。しかし、直後に当時の比嘉鉄也市長は受け入れを表明して辞任した。

 09年、旧民主党への政権交代で再び期待は高まったが、13年、当時の仲井真弘多知事が埋め立てを承認した。19年の県民投票で辺野古反対の意思が示されたが、工事は進んだ。「何度、喜んで泣いてを繰り返してきたか」。西川さんは県の敗訴に悔しさをにじませるも「辺野古が今後どうなっていくか、若い人も一緒になって考えていく必要がある」と話した。

基地を受け入れている以上、しっかりと補償を要求すべきだと話す玉利朝輝さん
何度も期待を裏切られてきたと声を落とした西川征夫さん

 辺野古で生まれ育ち、19年の参院選に辺野古新基地建設に賛成の立場で立候補した玉利朝輝さん(64)は、普天間基地の危険性除去や国防の観点から「反対する理由はない」と強調。「どの地域も受け入れない基地を辺野古が受け入れる。国防の義務を果たしているのだから、しっかりと補償を求める権利はある」と話す。

 両親がかつて辺野古で経営したレストランは、ベトナム戦争中に米兵らで繁盛した。当時、辺野古には100を超える飲食店が軒を連ねた。しかし、ベトナム戦争の終結が近づくにつれ活気は薄れた。玉利さんは辺野古を離れ、那覇で飲食店を経営した。
普天間飛行場を辺野古へ移設する案が浮上したことで、企業誘致や雇用拡大による地域活性化を期待し、約15年前に辺野古に戻ってきた。「地域を復活させたいという思いが一番だ」と基地賛成の理由を語る。

 一方、オスプレイなど米軍機による事故の危険性や騒音被害も予想される。「最低条件は生活保障。住民が安心して暮らせる住宅の整備や子どもらの学習施設の整備などは国に責任を持ってやってもらいたい」と話す。

 代執行訴訟で県が敗訴したことに「戦争を良しとする人はいないが、仮にシュワブがなくなったら、より過疎化が進むだろう。国と県、名護市がしっかり話し合って進めてほしい」と静かに語った。 (金城大樹)


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