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車いすの父背負い避難 トイレ、風呂も使えず 「菜の花の沖縄日記」の坂本さん「災害備え、自分ごとに」 能登半島地震1カ月


車いすの父背負い避難 トイレ、風呂も使えず 「菜の花の沖縄日記」の坂本さん「災害備え、自分ごとに」 能登半島地震1カ月 坂本菜の花さん=1月、石川県珠洲市の「湯宿さか本」(坂本さん提供)
この記事を書いた人 Avatar photo 中村 万里子

 那覇市のフリースクール珊瑚舎スコーレでの生活に密着したドキュメンタリー映画「ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記」で知られる坂本菜の花さん(24)=石川県珠洲市=は、能登半島地震で被災した。父母と営む同市の宿で地震当時、落ち着いて友人や家族を守る行動を取ったという。31日までに琉球新報の取材に応じ「沖縄の米軍基地もそうだが、震災もまだ人ごとだったと気づいた」と、基地被害や災害への備えを自分事とする必要を実感したと語る。

 宿は海から約1キロ離れた山奥にある。1月1日は常連客ら友人18人が訪れ、正月を迎えた。初詣を終え、友人らと厨房(ちゅうぼう)で食材を並べていたこの日の午後、最初の揺れが収まったと思ったとたん、大きな揺れが襲った。大きな音を立てて落ちる調味料や調理器具。調理台の下に隠れ、近くで動けなくなっていた女性に「頭だけでも隠して!」と叫んだ。揺れが収まるまでの約2分はとても長く感じた。

 厨房を出るとまきストーブが横転し燃えていた。まきに湯をかけたが黒煙が出たため灰で消火を試みる。友人たちに駐車場に出ようと促すと、津波と避難を呼びかけるサイレンと無線が鳴り続けていた。裏山に一時避難し戻ると、空港に客を迎えに向かっていた父らから助けを求める電話があった。「目の前の車が土砂崩れに巻き込まれ、戻ってきたが、橋がせり上がっていて渡れない」。すぐに母親と車で向かった。父親は若い頃に脊髄を損傷し車いすのため、おぶって橋を渡った。

父親らを迎えに行く途中の道路。盛り上がり亀裂が入っている=1月4日、石川県珠洲市上戸町

 高台にある消防署近くに車を止めて一夜を明かしたが、ほとんど眠れなかった。簡易トイレは汚物があふれ、尿道カテーテルを利用する父は細菌感染の恐れがあるため使えない。坂本さんや母も雪を掘って用を足した。

 電気は1月15日に、固定電話やWi―Fiはその2日後に復旧した。宿は2カ所の井戸からの配管が損傷したが1カ所の配管を修理し、シャワーも浴びられるようになった。父が県外の五右衛門風呂メーカーと交渉し1台を購入し5台の寄贈を受け、市内の友人たちに貸し出した。

 食糧の備蓄はあり、電気を使わず暖を取る設計のため、それほど問題なく過ごせている。「うちは良いほうだけど、バイオトイレなど対策をしておけばもっと困らなかったかも。水道水や電気に頼りすぎないなど昔の知恵を生かして生活する大切さが分かった」と実感を込める。

坂本菜の花さんが父母と営む「湯宿さか本」の井戸での水汲み風景=1月29日(坂本さん提供)

 環境との共生もその一つだ。珠洲市には原発建設計画があったが、住民らの根強い反対運動で計画が中止された。「もし放射能汚染が起きていたら」。生々しく想像すると怖くなる。一方で「反対はイデオロギーじゃない、そこに暮らし続けるため必要だったんだ」という実感を、沖縄で基地に反対する人々の思いに重ね、強行される辺野古新基地建設に心を痛める。

 今年になって寝る前に本を開く余裕もできてきた。開いたのは雑誌「暮しの手帖」初代編集長の花森安治さんの本。「武器をすてよう」という詩に、逆境や困難の中でも理想を捨てず、前に進む勇気をもらっている。 

(中村万里子)