消防団58年「生きがいだった」 子育て中の団員に理解深く 糸満、金城副団長(85)退団へ


消防団58年「生きがいだった」 子育て中の団員に理解深く 糸満、金城副団長(85)退団へ 糸満市消防団の退団を決めた金城副団長(右から3人目)提供
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 【糸満】58年間、糸満市の消防活動を支えてきた市消防団の金城正次副団長(85)が3月、退団することとなった。消防団は「生きがいだった」という。他の団員から見ても金城さんは「消防団命」。妻から今でも「今日は消防へ行かないの?」と言われるほどの消防人だ。

 1965年7月、友人の誘いで金城さんは糸満町(当時)分団に入団した。消防職員が5~6人しかおらず、主に自営業者や区長などが消防団として地域の防災を担っていた。糸満漁港中地区周辺に消防団の詰め所があった時期には火の見櫓(やぐら)があり、毎日火事が起きていないか双眼鏡で確認していた。当時は製糖場や民家の火災が多く、毎日のように出動していたという。

 99年4月に副団長に就任した。副団長になって大変だったのは人前に出て話すこと。「本当に緊張して大変だった」と照れながら話した。

 若い頃に子連れで訓練に参加していたこともあって、子育て中の男女消防団員への理解が深かった。その存在が、先駆的に女性消防団員を育てる土壌にもなった。女性団員は「金城さんがいたから安心して活動できたし、話しかけやすかった」などと振り返る。最近では男性団員も子連れで訓練に来ているという。

 団員から慕われ、最近は飲み物の差し入れや倉庫の備品の管理など裏方の仕事に徹していた。退団理由を聞くと「(他市町村も含め)周りにいる団員の年齢層的に一人だけ離れていて恥ずかしくて辞めることにした。本当はもっと続けたい」と話した。そして「消防団は生きがいだった」と58年を振り返りながら、つぶやいた。

 (川嵜紋通信員)