「戦争がなかったら悲しい事故は起きなかった」 聖マタイ幼稚園、不発弾爆発事故から50年 園児ら平和を祈る 


「戦争がなかったら悲しい事故は起きなかった」 聖マタイ幼稚園、不発弾爆発事故から50年 園児ら平和を祈る  聖マタイ幼稚園での不発弾爆発事故から2日で50年。平和を祈るための礼拝で高良孝太郎元園長(手前)の話に耳を傾ける同園の園児たち=1日、豊見城市の同園
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 3歳の女児1人を含む作業員ら計4人が死亡し、34人が重軽傷を負った聖マタイ幼稚園不発弾爆発事故から2日で50年を迎える。1日には、豊見城市の同園で、園児102人や関係者らが「平和を祈る日」として、犠牲者に祈りをささげ、事故の記憶を忘れず継承してくことを誓った。

 事故は当時、那覇市小禄にあった聖マタイ幼稚園そばの下水道工事現場で重機が基礎工事用の鉄杭を打つ中、沖縄戦で日本軍が埋めた機雷に触れ爆発した。

 吹き上がった土砂で人が生き埋めになり、吹き飛んだ重機や鉄杭が車両や民家に直撃し、多くの家屋や車両が全半壊するなど不発弾爆発事故として日本復帰後最大の被害を出した。

 事故当日は、ひな祭りに合わせたお遊戯会が開かれ、園児や保護者ら約400人が集まっていた。

 マタイ幼稚園元園長の高良孝太郎司祭は「平和を実現する人々は、幸いである」という聖句を読み上げ、「戦争がなかったら50年前の悲しい事故は起きなかった。平和を実現するには、事故を忘れず、友だちが喜ぶことを心掛けよう」と呼びかけた。

 幼稚園は1989年に豊見城市に移転し、跡地には現在、小禄病院が建っている。敷地内には2019年に慰霊碑が建立された。また、15年には現在のマタイ幼稚園内にに「不発弾爆発事故記念碑」が建立された。(吉田健一)