御後絵捜索、きっかけ作る 元米総領事館職員の高安藤さん 沖縄県、FBIに盗難美術品申請


御後絵捜索、きっかけ作る 元米総領事館職員の高安藤さん 沖縄県、FBIに盗難美術品申請 元米国総領事館・広報文化担当補佐官の高安藤さん
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 「琉球の大事な文化財を見つけるきっかけになれた。本当にうれしい」。戦時中に沖縄から流出し、所在が分からなくなっていた琉球国王の肖像画「御後絵(おごえ)」などの文化財が米国で見つかり、沖縄県に返還された。県が2001年に米連邦捜査局(FBI)の盗難美術品ファイルに登録申請をするきっかけをつくったのが、元米国総領事館・広報文化担当補佐官の高安藤(たかやすふじ)さん(80)=ぬちまーす副社長=だった。

 2000年の沖縄サミットでのクリントン米大統領来沖を前に、広報文化担当の高安さんは文化的な取り組みとして二つの提案をした。一つは沖縄から持ち出された御後絵など文化財の捜索・返還。もう一つは米国内にある琉球の文化財の里帰り展を開催することだった。当時の稲嶺恵一知事らにも伝え、米国務省や大使館も積極的に動いたが、実現はかなわなかった。

 その後も流出した文化財を探す方法を米国で調べてほしいと取り組み、首里城復元や調査研究などに尽力した故真栄平房敬さんら3人を沖縄から米国に招へいした。FBIや国際刑事警察機構(インターポール)を通して探す方法を知ったメンバーは沖縄に戻り、県がFBIに盗難美術品ファイルの登録申請した。

 当時、真栄平さんは80歳。戦前の首里城や尚家関係の行事などを実際に見聞した経験や強い思いがあったからこそ、今回の発見・返還につながったと高安さんは考える。 高安さん自身も沖縄から米国に渡った文化財の研究に取り組み、琉球大大学院で学びながら沖縄の文物の所在とその移動の背景などを調べた。

 沖縄戦から80年近くがたつ。戦争で多くの工芸品が戦利品として流出した。「御後絵が戻るのに何十年もかかったが、劣化もそれほどなく修復できるのではないか。文化財への知識や理解がある人が大事に保管していたのだろう」とし、「あの時提案して良かった」とほっとした様子で話した。

(座波幸代)