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「大龍柱」切断の写真発見 1896年撮影か 首里城、伝聞裏付け 沖縄


「大龍柱」切断の写真発見 1896年撮影か 首里城、伝聞裏付け 沖縄 今回見つかった首里城の写真の拡大画像。向かって右側の大龍柱は根元しか写っていない。左側の柱は正面を向いている。撮影は1896年とみられる
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 1896(明治29)年に撮影されたとみられる那覇の首里城の写真が見つかった。正殿前に一対で立つ石彫りの大龍柱(だいりゅうちゅう)のうち、向かって右側の柱は根元部分だけ残し、写っていない。

 明治政府が琉球処分のため派遣した軍隊が撤収する時に大龍柱の1本を切断した、という古老らの証言が伝わっているが、明確な文献資料はなかった。今回発見された写真は、この伝聞を裏付ける証拠になりそうだ。

 古写真を見つけたのは、東京都国分寺市の美術商秋山弘道さん(72)。父親から引き継いだ大量の写真の中にあった。秋山さんは「首里城は正面から撮った写真が多いが、これは少し斜めから撮影しており、大龍柱が1本しかないので不思議だと思った」と話す。

 写真は縦21センチ、横26センチでセピア色に変色している。明治時代に使われていた四つ切りサイズのガラス乾板写真機で撮影したとみられる。ガラス乾板から焼き付けたオリジナルプリントで、同じ構図の写真が宮内庁にもある。

 77年5月、フランス海軍の艦船乗組員ルベルトガが撮影した首里城の写真が、現存最古とされる。この写真には一対の大龍柱が写っている。
 明治政府は76年、熊本鎮台分遣隊を沖縄へ派遣。79年、琉球王国を廃し、琉球処分を断行した。

 「沖縄大百科事典」を編集した上間常道氏(故人)の調べによると、首里城に駐屯していた熊本鎮台分遣隊が96年に引き揚げる時に大龍柱を損壊したとする話がいくつか残っているという。

 一つは、分隊長が、大龍柱を自分の郷里に移送するため部下に命じて損壊したという話。さらに分遣隊の兵士が大龍柱を引き抜き、師団長に贈ろうとしたが、たしなめられて元に戻したという話もある。柱を元に戻したが、短くなったため、残る柱も短くして高さを合わせたと言われる。

 14世紀ごろ創建の首里城はたびたび火災に見舞われ、1945年の沖縄戦で焼失。本土復帰20周年の92年、復元したが、2019年、正殿などが全焼した。

 現在、再建工事が進められているが、大龍柱をこま犬のように向き合う形にするか、正面を向いた形にするかで論争が続いている。ルベルトガ撮影の写真も今回の写真も大龍柱は前を向いている。

 彫刻家の西村貞雄琉球大名誉教授は「少なくとも琉球王国時代には、大龍柱は前向きに立てられていたことが、これら明治期の写真から証明できる」と話している。


「再建、正面向きに」

 後田多敦神奈川大国際日本学部教授(日本近現代史、琉球史)の話 熊本鎮台兵が、向かって右側の大龍柱を損壊したとの証言が残っている。見つかった写真で、左側の柱は正面を向いていることなどから琉球王国時代には正面向きだったことは間違いない。

 その後、両方とも短小化された上で昭和期に向きも相対に改変された。2026年の完成を目指す再建工事では史実に基づき、相対ではなく正面向きに大龍柱を立てるべきだ。

(共同通信)