名護市の名護博物館で、川崎沖縄県人会設立100周年を記念した写真展「川崎と沖縄を繋ぐ歴史パネル展in名護博物館」(やんばるナゴラブ主催)が開催されている。28日まで。多くの県出身女性らが出稼ぎで勤めた川崎の富士瓦斯紡績工場など約30枚の写真が展示されている。
同館が発行する「あじまぁ」や川崎沖縄県人会によると、大正初期ごろ、多くの県出身者が神奈川県の川崎や鶴見に出稼ぎに出た。1915年に操業を開始した富士紡績(後の富士瓦斯紡績)では、多くの県出身女性らが働き、工場周辺に沖縄コミュニティーを形成していったという。
しかし1923年の関東大震災で紡績工場に勤めていた県出身者約45人が死亡、うち名護出身者は11人だった。被災後、助け合いながら生活を立て直す中で、24年に県人会が設立した。
パネル展を企画したやんばるナゴラブの渡具知豊さんは2018年4月ごろ、川崎市で開かれた県人会に参加した時に、関東大震災により、紡績工場で働いていた名護出身者が亡くなっていたことを知り、市関係者に働きかけた。同年7月5日には、渡具知武豊名護市長が富士瓦斯紡績工場跡地に造られた川崎競馬場で、亡くなった名護出身者を追悼した。
26日、パネル展に参加した川崎県人会の金城宏淳会長は「震災で名護の人も亡くなっていたことは初めて知った。名護市でパネル展を開催できて本当にうれしい」と話した。企画した渡具知さんは「過去を振り返るきっかけになれば」と話した。
(金城大樹)