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復帰と果報 「沖縄」に思いはせる日 西銘むつみ(NHK解説委員) <女性たち発・うちなー語らな>


復帰と果報 「沖縄」に思いはせる日 西銘むつみ(NHK解説委員) <女性たち発・うちなー語らな>  西銘むつみ(NHK解説委員)
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 「果報は寝て待て」。努力した上で良い結果を淡々と待てという意味らしい。

 ある日、待ってもいない、思い出すことさえほとんどなかったのに「果報」が舞い込んだ。三十数年後の時を経て。

 その「果報」は私の10代の頃の出来事と沖縄の本土復帰にも関係する。

 高校の修学旅行で訪れた京都の商店街を歩く私たちの列に、店から年配の女性の声が飛んできた。「パスポート持ってきはったん?」。復帰から14年が経っているのに、だ。その時から私の中での「日本」は京都になり、進学先もその地を選んだ。

 キャンパスは駅から徒歩15分の上り坂の丘にあり、この日は兵庫県出身の友人と歩いていた。彼女が「なんで日の丸、焼いたん?」と尋ねてきた。

 その前年、沖縄では復帰15年を記念する国体が開催され、ソフトボールの会場では、掲揚された日の丸が男性によって引き降ろされ燃やされる「器物損壊」事件が起きた。卒業式では日の丸を掲げるかどうかで教師の意見が分かれ、生徒が出席を拒否する学校もあった。その議論は連日大きく報道され、高校の門の前で放送局のインタビューを受けた同級生は、自らの考えを堂々と語っていた。復帰時の記憶はない世代だが、その空気感は共有していたと思う。

 キャンパスへ続く坂道で私は兵庫の友人に、本土防衛のため地上戦を経験した沖縄では、日の丸が旧日本軍を彷彿(ほうふつ)させるとして複雑な思いがあること、米国統治下では「異民族支配」から祖国に復帰しようというシンボルになり、翻弄されてきた歴史に日の丸が重なって本土とは違う県民感情があることを説明した。今ほど理路整然とはしていなかったであろうが、「器物損壊」は許されることではないと前置きした上で、わかってもらおうとした。坂の頂上で返ってきたのは「なんやそれ?」のひと言。彼女への失望と、15分も語った惨めさだけが残った。

 しかし、だ。三十数年後の復帰50年の頃、「果報」が訪れた。兵庫の友人からの電話だ。沖縄に来ていて、当時、日の丸を引き降ろした男性が営んでいる宿に滞在しているというのだ。そして「あん時、なんもわかってなくてごめんな」と。あの坂での出来事をずっと覚えていてくれたのだ。こみ上げてくるものがあり目頭が熱くなった。振り返れば、当時、沖縄が抱えることについて尋ねてきたのは彼女くらいで、無関心が最大の敵だと知る今なら、歓迎すべき友人だったこともわかる。

 3日後の5月15日、本土復帰から52年となる。その日は復帰の特別授業を取材する。もはや「寝て待つ」時間はなく、次なる「果報」をたぐり寄せるための日々だ。

 1分でも5分でもいい。沖縄の歩みとこれからに思いをはせる日になればと願う。

西銘むつみ にしめ・むつみ

 1970年生まれ、那覇市出身。92年NHK入局、沖縄局、首都圏放送センターで、沖縄戦、戦後処理、教育、旧環境庁、旧沖縄開発庁などを担当。NHKスペシャル「沖縄戦全記録」で日本新聞協会賞。