prime

家族の歴史と沖縄戦 過ち繰り返さない術を 佐久川恵美(同志社大学・都市共生研究センター研究員) <女性たち発・うちなー語らな>


家族の歴史と沖縄戦 過ち繰り返さない術を 佐久川恵美(同志社大学・都市共生研究センター研究員) <女性たち発・うちなー語らな> 佐久川恵美
この記事を書いた人 Avatar photo 外部執筆者

 私が15歳の時に亡くなった父方の祖父が戦争を語ったのは3回だ。

 1回目は「平和の礎」が設立された時。幼い私は刻まれた名前の質感が不思議で指でなぞりながら歩いていたが、刻まれた家族の名前を指さした祖父の様子を見て礎に触れること自体に畏怖を感じた。2回目は小学校の平和学習で身近な人の戦争体験を聞く課題が出された時。戦争の話をしない祖父に「戦争の時何をしていたの?」と聞くと「爆弾を運ぶ兵士だった」と答え、それ以上話そうとはしなかった。その沈黙を当時の私は理解できなかった。

 3回目は晩年になって初めて、トートーメーのそばに飾られていた若い女性と3歳ほどの女児の遺影が「戦争で亡くなった妻とこども」だと教えてくれた時。その頃から、私がいくら耳をすませても聞こえない赤ん坊の泣き声が祖父には聞こえており「赤ん坊を泣きやませてくれ」と何度も言われたが、私にはどうすることもできなかった。

 祖父が亡くなってしばらくした後、戸籍を頼りに家族の歴史をたどろうと思い立った。戦争で焼失した分があるものの、祖父の父母兄弟、甥姪(おいめい)、妻子の欄に「昭和20年5月10日島尻郡真壁村で死亡」「昭和20年6月20日島尻郡高嶺村で死亡」等が並ぶ。沖縄戦中、南部へ避難する過程で14名が死亡していた。祖父はどのような気持ちで死亡届を書いたのだろう。調べてみれば祖父の後妻も、母方の祖父母も沖縄戦で親族を亡くしていた。

 こうして家族を通して感じ取ってきた戦争は、私にとっての戦争体験なのではないかと感じる時がある。戦争は一世代で終わるのではなく何世代にもわたって精神的・経済的、家族関係や地域社会に影響を及ぼす。

 沖縄戦から79年が経(た)つ現在、政府は「台湾有事」を念頭に国民保護法に基づき与那国島や石垣島等の住民ら計12万人を九州各県と山口県に避難させる案を出した。しかし移動手段、滞在場所、食料の確保に課題があるばかりか障がい者、重病者、こども、妊婦、外国人への視点も希薄だ。一人一人に避難する権利がありその権利を守る方策が必要な一方で、戦争が激化すれば避難・疎開することすらかなわず、地上戦に巻き込まれることを私たちは沖縄戦から学んできた。

 だからこそ、戦争の準備ではなく戦争をしない・させない方法を議論する必要がある。「保護」の対象を「国民」に限定し、目の前の人を「非国民」と一方的に名指し排除してきた歴史を繰り返さない術(すべ)を考え実践することが、一つの手がかりになるだろう。

佐久川恵美 さくがわ・えみ

 1989年生まれ、那覇市出身。同志社大学・都市共生研究センター研究員。主な論文に「福島原発事故における線引きを問う」(共著・ハングル訳「境界における災害の経験」亦樂出版社)などがある。